呉善花「スカートの風」

呉善花著「スカートの風」は1990年暮れに日本で出版されベストセラーになっています。呉善花のデビュー作です。今回のブログを含めて3回のブログ(「嫌韓流」、「悲しい日本人」、「スカートの風」)は時代を遡ることになります。ある意味「どうして?」という回答が遡ることでわかってくる部分があります。

呉善花は、1956年韓国済州島生まれ。韓国の大学を卒業、軍隊に4年勤務した後に、27歳でアメリカへの寄り道として来日。日韓の文化の違いから心の葛藤に苦しみますが、アルバイトをしながら、大学に通います。日本人ビジネスマンには韓国語を、韓国人ホステスには日本語を。来日7年、韓国人ホステスのドキュメントを撮る手伝いをすることから、韓国人ホステスの生き様を本にすることになります。

タイトルからして、風俗韓国ホステスの話と思っていましたが、内容はとても真摯な文化論というところです。

話は日本で働く韓国人ホステスから始まって、韓国での女の置かれた立場、李氏朝鮮のヤンパンとキーセンの関係から、日本人と韓国人の習慣や物の考え方の隔たりについての考察です。

 

韓国では男の子は大事にされるが、女は「いずれ他家に嫁ぐのだし」低く見られる。女の子は早く金持ちの家に嫁ぐか、それができなければ、親や男兄弟のために働くことが当然と見なされます。

現在(本を書いた当時)の韓国でも依然として、李氏朝鮮のものの考え方=儒教の原理主義が根強く残っていて、汗水たらして働くことは賤しいことだと考えられています。

教育も十分受けることができない、貧しい家の娘は工員として働くことになりますが、工員の賃金は安いので、それで足りなければ、結局多くの場合、水商売の道に入ることになります。

また離婚も女には不利で、離婚した女は行く場がなく、水商売に入る例が多いといいます。

彼女たちはもはや正式の結婚は望めないので、金持ちの愛人になることを夢見ます。

韓国ホステスの典型はこのような人たちだということです。

韓国の女は抑圧されていて、置かれている立場を逸脱すると、金持ちの愛人になることがセカンドベストの幸せと考えるのだと理解します。そうならないためには身を固くし、従順に家や夫に尽くさなければいけないのでしょう。そのような韓国人(田麗玉)からみれば、日本の女は尻軽にみえるのかも知れません。

この本では韓国ホステスの話から始まって、日韓のビジネスマンの比較、日韓の言語比較までしています。

韓国語には日本語以上に敬語があるが、謙譲語がないので、社外の人と話すとき、自分の上司についての話も敬語を使う。「社長さまは御出かけございます」。

また、日本語には受け身が多様される。
たとえば、「どろぼうに入られた」、「あなたに死なれるとこまる」。
これらの言葉づかいには、自分の非を暗示している。

しかし韓国語にはそもそも受け身がないので、すべて自分の主張になる。
「どろぼうが入った」。
ここには私の非はいっさ入らない。

言葉の面からも、日韓のものの見方感じ方に違いがある。

 

これを書いた時彼女が30歳前半だったのでしょうから、とても冷静な記述で敬服しました。

error: コピーできません !!