「シュリーマン旅行記 清国・日本」 2

シュリーマンは日本に来ることをとてもとても楽しみにしています。

当時のヨーロッパ人にはある種憧れの国だったようです。オランダ商船やシーボルトの影響だったのでしょうか。

上海から九州の南の諸島を迂回して九州の東沿岸を北上し、江戸に向かう航海は日本への憧れが募るばかりです。

富士山を見ながら横浜に投錨します。

中国では船が投錨すると、周りを無数の汚いジャンクが取り囲みますが、横浜ではただ一艘の小舟が寄ってきました。

下帯一本刺青もんもんの船頭二人です。波止場まで運んでもらって賃料を聞くと、「四天保銭」。
これにも驚きます。中国では四倍は吹っかけられたからです。

そこから税関に行きますが、人夫はどれもこれも皮膚病を患っており不気味です。税関では役人が「荷物を全部開けろ」といいいます。
大変なので袖の下を渡そうとすると、役人は「日本男児!」と胸をたたいて拒みます。そして、荷物の検査はほどほどにして通してくれます。

横浜で宿泊します。
これから貪欲に横浜や江戸を見て回り、感想をかいていますが、感想はとても好意的です。中国があまりに酷かったからかもしれません。

横浜の町を見学にでかけた。1859年には小さな漁村だった横浜も、いまや人口1万4千人を数える。道路はすべて砕石で舗装されていて、幅10~20メートル、青みがかった煉瓦の木造二階建ての家が道にそって並んでいる。

道端の家々をきょろきょろ見て回ったのでしょう。

どの家も花で飾り、こぎれいな印象を持ちます。「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない」といっています。
にもかかわらずどの国よりも皮膚病がおおい。その原因は米食と生魚が原因だと主張しています。

他の来日した蘭学者は確か、風呂水がきたなくて、ここで感染しているといっていました。こちらの方が信憑性があります。

家の中に家具がないことが不思議だったようです。そのことを何度も書いています。

家具がないのも、「嫁入りに費用が掛からなくていい」と好意的です。質素な生活様式もそれを一つの文化として、「それもあり」とうけとめます。

公衆浴場には一種感動です。
男女混浴で老若男女、なんの恥じらいもなく、仲良く入浴している。「なんと清らかな素朴さだろう!」と、とても面喰ったのでしょう。

シュリーマンは吉原には行っていないと思いますが、遊郭について興味をもって書いています。日本人の性に関する、開放的な考えに不思議な、でも肯定的な感想をかきます。(余りに肯定しすぎるのではないかと私は思います)

八王子に生糸の生産現場を見に行きます。彼らにとってどれほど珍しかったか分かりません。

江戸になかなか入ることができません。前回にも書きましたが、攘夷論者が外国人の命を狙っていたので、その安全のために許可がでなかったようです。アメリカ合衆国公使館から招待状をもらって、やっと江戸に行くことができました。

5人の役人の護衛に守られた、梅雨の雨の中、馬で江戸に向かいます。9時前に出発して、江戸には1時ころ入ります。
途中ずっと日本の家々や人々を観察しています。

アメリカ公使館は善福寺というお寺をかりていて、ここでも常時200~300人の役人が警護しています。

愛宕山に上って、江戸の町を観察します。

後日江戸の町を護衛付で見学し、様々な感想を述べています。商店がたくさんあるとか、日本人は絵が好きだとか。

芝居見物もします。

これらの行動は常に日本人役人の護衛付です。外出先から、公使館に帰るときは毎日違った合言葉を確認します。間違うと一刀両断されます。

ともかく貪欲に日本を観察し、コメントしています。西欧とは全く異なる文明・価値観、特に性に対する考え方の相違には、驚きながらも、「それは一つの文化だ」と肯定的に書いています。

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