建築家 そして決別

時々テレビの「大改造 ビフォー・アフター」を見ます。

建築設計は、空間・時間のパズルを解くようなものです。
これは単なるゲームではなく、そこで生活しあるいは通り過ぎる人々と同じ視覚的、聴覚的、時には臭覚的美意識を共有しますし、さらには生活様式そのものについてさえ人々と美意識を共有します。

私は建築設計が好きで、大学の課題では寝食を忘れて設計に没頭したものです。

大学を卒業するとき建築科の学生は卒業設計をします。
日本全国の各大学からそれぞれ1作品が選ばれて持ち寄り、全国の大学を廻ります。
わたしはその年母校から選出され、全国の卒業設計展を巡ったことを今も誇りに思っています。

大学卒業後、大手ゼネコンの設計部に入社、建築家の卵として朝から晩まで(本当は夕方まで。必ず定時で退社していました)図面を書いていましたが、もっと勉強して憧れの建築家に少しでも近づきたいと、上京し某大学の大学院に進みました。

しかし、建築を勉強し一級建築士の免許を取得、いざ建築家になろうとしたとき、職業としての建築家の現実に始めて直面しました。

国家試験に合格すれば晴れて建築家ですが、建築家は医者や弁護士とは違って、事務所を構えれば仕事がくるものではありません。

建築工事は数千万円以上のお金が掛かります。
当然建築士だというだけで仕事を頼む人はいません。

その人がすばらしい建築家であると世間に認められる前には、人が設計を依頼してくる環境を作らなければいけません。

一番分かりやすいのは組織の一員として仕事をすることです。
ゼネコンの設計部や名の通った建築事務所で社員として仕事をし、機会を見つけて独立することです。

しかし組織が嫌いな人は、自分で仕事をとってくるか、どこかの下請けで図面を書かせてもらうか、お手伝いの仕事にありつくとかしなければいけません。

中には、コンペとか大学の先生になることで、世間への売り込みに一歩先に出ることはできますが、そのような幸運はメッタにあるものではありません。

幸運に未だめぐり合わない若者は、自分で自分を売り出すことに懸命です。
その結果、とてもよくある建築家のタイプはカリスマ風です。
訳けの分からない難しそうなことを言って相手を煙にまき(自分も酔いしれて)、
夢うつつの中で仕事をしてしまうのです。

仕事そのものが出来ないわけではないので一生懸命やり、「さすが先生!」と言われ、
「建築家」らしい建築家になっていくのです(これもめったに成功しませんが)。

このような建築家崩れが建築計画の研究室の周りには沢山います
(いました。私もそうだったと思います)。

しかし私は訳の分からない議論が嫌いでした。
なぜ建築設計にハイデガーの「存在と時間」が必要なのか。
チョムスキーの言語理論と建築とどんな関係があるのか。
アレキサンダーのデザインパターンが設計にどれ程役に立つのか。

もちろんすべての建築家が嫌なやつというわけではありません。
大学院の授業で丹下先生(東京都庁等の設計者)の講義を聴講しました。
丹下先生は自分の設計について模型を持ち出して説明してくれましたが、
ハッタリ的なところも奢ったところもありませんでした。
若いときからコンペで名を上げ、順調に建築家の道を駆け上った、
大変幸運な建築家の一人であったと思います。
(私が大手建設会社を辞めて大学院を目指したのは、
実は丹下研究室に行きたいと思ったからだったのに、
丹下先生が建築学科から都市工学科に移籍していたのを知ったのは大学院受験の直前で、結局建築学科を受験をせざるを得なかったことが、私の一世一代の失敗でした)

わけのわからない議論の世界に身をおき、のた打ち回る人生は考えただけで耐えられませんでした。

「もっと訳けのわかることをしよう」
建築と決別することにしました。30歳のころでした。

あんなに好きで、大阪で仕事をしていたときは休みになれば奈良の古建築を見て廻り、上京してからも機会ある毎に評判の建築を見て廻っていたのに。

とても悲しい思いでした。

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