日本社会には色々な矛盾があります。
農業は非効率で、
米の輸入には価格の何倍もの関税をかけています。
様々な業界で、政官財の癒着が取りざたされています。
農業も医療も建設も電力も。
これに対してグローバリズムの名のもとに、
ここ数年あらゆる分野で「規制緩和」の動きが続いています。
その結果多分、
農業、医療、建設、電力等々の業界での癒着は相当の薄らいだのだと思いますし、
規制が取り払われてみれば、力のあるものがどんどん強くなっていきます。
どの地方都市にいっても郊外には大型店が並び、
反対に零細な駅前商店街は軒並みシャッターを下して店じまいしています。
大型店同士の競争では大型店はますます大型になり、
大きさを梃に商品の価格を限界まで安くして客を集めます。
これらの店では安いものであれば国境を越え、
あらゆるところから品物を仕入れます。
タクシーは大幅に増え、従業員は生活がやっとという収入しか得られません。
バス会社も林立し、価格競争の結果として大事故を起こしました。
サラリーマンの給与は減少し、
それならまだしも、定職につけない若者が沢山輩出され、
多くの中高年は生活できなくて生活保護で税金を消費しています。
よくよくみると、会社が勝ったといっても、
ごく少数者の経営者が勝ったのであって、
その従業員は必ずしも優遇されているわけではありません。
貧富の差が増大しています。
日本の貧困率は世界先進30か国中ワースト5位以内だということです。
一人親の場合は、なんとワースト・ワンです。
これが「規制緩和」で私たちが勝ち取った成果でしょうか。
私は間違っていると思います。
強いものがどんどん強くなって、
「敗者にはセイフティネットを設ければいいのだ」という主張は欺瞞です。
勝者が勝ち取った戦利品を敗者に配分するなど、
ほんの一部の人だけの行動で、
大多数は勝てばますます貪欲に勝ちにいくのです。
数年前世界を震撼させたアメリカの金融資本が典型的な例です。
かつて日本は「一億総中流」といって揶揄された時代がありましたが、
民主主義の国では、社会は勝者だけ、敗者だけでは成り立ちません。
中流こそが社会を存続させているのです。
普通のおじさんやおばさんが、
細々と野菜や肉や惣菜を売って生活していたのです。
普通の生活はある意味無駄だらけです。
無駄を分け合って多くの人が人生を送っているのです。
勝者からすれば、「なんと無能な」と思うかも知れませんが、
勝った負けたなど、
「下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」です。
一生懸命やる人は一生懸命努力し、
「それなり」の富や名声を得、
それについていけなかった人は成功者に敬意を払い、
成功者もまた平凡に生きる人への思いやりがあれば、
それでいいのではないか。
しかし問題はそう単純ではありません。
かつて発展途上国といわれた国々は力をつけ、
今や、家電製品やコンピュータのメモリは韓国がトップシェアをとり、
中国も一部家電でも出荷台数トップの座を占めています。
安い賃金の国では安い製品を生産できませすから、
賃金の高い国は太刀打ちできません。
これからも多くの国が力をつけてきて、
日本の経済的優位は保持しにくくなっていくのでしょう。
どうすればいいかという決定的な解答はないかもしれません。
ただいえることは、
無知にまかせて負け組になるのではなく、
中流の人々が安心して生きていける国、
経済も、知的にも、安全保障も強い国をめざさなければいけないのだと思います。
それは「昔に返る」ではありません。
かつて競争相手もいない中で、「一億総中流」になったのとは訳が違います。
今は強い意志を持たなければ、
そのような状態にはならないと思います。
私たちは、
それぞれの持ち場でこれまで以上に努力し、
身近なこと、世界のことに関心を持ち、
批判精神をもって「これでいいのか」と問い、
事に当たっては、正義感をもって最善をつくす。
私にはそれ以上の方策はわかりません。
とりあえず誰でもできることだし。