「坂の上の雲」を読む 2

日露戦争の勝敗を決めたのは、「日露両軍の陸海それぞれの総大将の軍人としての能力の差であり、その違いを生み出したのはそのときの社会体制の違いである」というのが司馬遼太郎の結論だと思う。

日本は開国し明治維新を達成し、アジアに押し寄せる帝国主義に呑み込まれまいと必死に近代化を目指す。国民総生産で冷静に考えれば戦争ができる状態ではなかったのであろう。

一方ロシアは帝政で、皇帝は絶対君主であり他はすべて官僚である。ニコライ2世は凡君であり、官僚は皇帝の顔色ばかり見ている。社会の上流になればなるほど皇帝に近く、それだけおろかな役人や軍人が国を治めることになる。そんな中、ロシアは革命前夜で社会不安を抱えている。

戦力でいえば、ロシアの陸軍は日本より圧倒的な力を持っていた。兵員も兵器も。司馬遼太郎は日本の陸軍に対しては手厳しい。旅順での兵器の貧弱さと乃木大将の人使いの稚拙さ、参謀の無能さを何度も非難する。日本の兵器で勝ったのは、日本の港を守っていた巨砲を陸戦に持ち出したこと、これに使った火薬が優秀であったこと、旅順で乃木軍から大量の血を奪った機関銃を急遽外国から買い入れて旅順奪取後に増やしたこと等である。陸戦では日本は苦戦であったのに、ロシアの総大将が実戦では無能であったのがロシアの敗走の最大の原因としている。どちらにしても日本軍が奉天まで進軍した時には日本の持ち駒は兵員も兵器も限界に達していたようである。

この中で、秋山兄弟の兄好古は騎馬隊を組織し善戦する。

一方の海軍は、山本権兵衛が一人で設計し作り上げた。ただし当時の国力からすれば途方もないお金をかけて。日本海海戦での日露の海軍兵力は五分五分であったが(それより先ロシアは旅順港に最強の極東艦隊を集結していたが、乃木の陸軍と海軍の連携で全滅していた)、幸いにも日本の海軍は若かったので軍艦の性能が比較的よく粒が揃っていた。それに引き換えロシアのバルチック艦隊は、新旧(性能)まちまちで戦場では速度の遅い艦船に速度を合わせなければいけない分不利であった。

秋山兄弟の弟真之は兄に続いて軍人になる。ただし海軍に。
彼は日本・世界を問わず、また陸・海を問わずあらゆる戦術を研究し海軍の天才といわれ、日露海戦では作戦参謀になる。

小説によると日本は日本海海戦に備え戦術を徹底的に研究し、射砲も存分に訓練してバルチック艦隊を待ち構えていたが、ロシア艦隊は戦闘になればそれぞれが大砲をぶっ放すという旧態然とした構えで日本海に現れたらしい。

連合艦隊は秋山真之が書いたといわれる有名な「ホンジツテンキセイロウナレドモナミタカシ(本日天気晴朗なれども波高し)」で始まる決意電報を本国に送り、決戦に臨む。

連合艦隊司令長官東郷平八郎は自軍を自在に操り、2日に亘る海戦でロシア艦隊を全滅する(ただし、ロシア第三艦隊は降伏)。ロシア軍の損害は拿捕されたものを含めると30艦を超えるのに、日本軍で沈んだ船は3艦というから驚きである。

「坂の上の雲」を読む 1

長い間小説を読んでいなかった。
(昨年、最近再翻訳され評判になった「カラマゾフの兄弟」に挑戦したが、
例のドストエスキーのネバッコさに降参し、2冊目でやめてしまった。)

旧友から四国の松山でクラス会を開くので来ないかと連絡があり、最初は松山は小さな町で温泉以外に何もないから、クラス会が終わったら松山城でもチラッとみてさっさと帰ろうと思っていたのだが、松山に数年勤務したという団地のU氏に、見るべきところを色々教えてもらっていたら、その中で「『坂の上の雲』はいいですよ」という。

せっかくだから、読んでみるかと「おおたかの森」の本屋にいって文庫本を3冊だけ買って帰った。全部で8冊だが、「とても8冊読めないだろうな」と思って、「3冊なら途中ギブアップでもいいか」と3冊だけ買って帰った。

読み始めるとドンドン引き込まれてしまった。結局1週間余りで全冊完読した。

明治維新後松山で育った、正岡子規と後に軍人になる秋山兄弟を主軸に話が展開する
(ただし、子規は若くして肺結核で死去するので、子規の話は小説の序章で終わ)。
秋山兄弟は下級武士の家系に生まれ、タダで勉強できるということで、士官学校(海軍は兵学校)に進む。兄は陸軍、弟は海軍。

司馬遼太郎は、史実に忠実に小説を書いたといっている。どこから事実でどこからがフィクションかよくわからないが、この小説で読む限り明治の人々の必死さが手に取るように判る。

この小説では、トルストイの「戦争と平和」とかレマルクの「西部戦線異状なし」のような、戦場における人々の心理描写や個人の日常的な描写はないが、明治の軍人の生き様はこのようだってろうなと納得する。