日本論

104件の投稿

歴史認識

韓国は事あるごとに、日本に歴史認識の問題を出します。

「進歩的」政治家はその都度謝罪していますが、いったいなにについて謝罪するのでしょうか。

私はこれまで不勉強で韓国のことを全くと言っていいほど知らなかったので、戦前の日帝軍国主義が韓国に迷惑をかけて「申し訳ないことをした」と漠然と思っていました。しかし今回、朝鮮・韓国について少し勉強してみて、「そんな単純な話ではない」と思っています。

イザベラ・バードの[朝鮮紀行]を読んで驚いたのですが、すでに明治の時代には強力な[反日]感情があったのです。

原因はどうやら、16世紀末の秀吉の[文禄・慶長の役]のようです。
秀吉は朝鮮に攻め入り、一時平城のあたりまで侵攻し、朝鮮に多大の被害を出したのだろうと想像しますが、半島と日本列島の間にはそれよりずっと前から、長い闘争の歴史があったのです。戦争というほど大規模ではない小規模な戦闘や海賊たちによる暴力はお互いにやっていました。

秀吉から遡ること300年、蒙古と朝鮮(高麗)の連合軍・元寇が日本を襲撃しました。鎌倉幕府は本土侵攻をなんとか食い止めましたが、対馬や壱岐では多くの人が殺戮にあっています。

その後元寇への報復として、日本人は朝鮮を攻撃し、倭寇として沿岸の人々は恐れます。ただし後には「倭寇」と称して朝鮮人も朝鮮や東アジアの各地を荒らしまわっていました。

そして秀吉の朝鮮侵攻です。

要は、秀吉の時代あるいはそれ以前には、どちらもお互いを侵略し、侵略されていたのです。当時の弱肉強食の「食うか食われるか」の時代のことを、後になって全く異なる社会体制から、単純にどちらがいいとか悪いとかいうことはできません。

それに日本が元寇の本土侵攻を食い止め、逆に朝鮮が侵攻を食い止められなかったのは、国の軍事力の差であり、時の運だったのです。
本土にまで侵攻した方が悪くて、本土侵攻をしなかった(できなかった)からよかったのだとはいえません。

これらの過去のことを理由に、なぜ韓国・朝鮮が一方的に日本を非難するのか。不当なことだと思います。

元寇が攻めてきた時の鎌倉幕府と、秀吉が攻めた時の李氏朝鮮とでは、国を守る軍事力とその気構えがまったく違っていました。
高麗の重臣であった李成桂が、国を裏切り敵対していた中国・明の力を借りて、自分の国・朝鮮を興した歴史から、朝鮮は中国への隷属の姿勢を続けたことと、自分が起こしたクーデターが今度は自分に対して起こることを恐れて、軍事力を最小にしていたのです。

次に言いたいのは、歴史認識はすべてとは言わないが「結構いい加減だ」ということです。

蒙古襲来では、神風のお蔭で日本が勝利したと聞かされていましたが、今、Wikipediaを見ると台風のおかげで日本が勝利したのではないということです。また、韓国では元寇そのものがなかったことになっているようですし、更にいえば、韓国は一度も日本に侵攻したことがないことになっているそうです。

慰安婦問題や強制連行の問題については、韓国の主張とは異なる見解があります。
WEBにはたくさんの反論があります。

少なくとも数万人(一説には20万人)の慰安婦が強制的に駆り出されという話は不自然です。当時の新聞には、慰安婦募集の広告があって、月収300円になっています。当時の女工の月収は30円程度だったということですから、これは「いわゆる」慰安婦の募集だと思わない方がどうかしています。

男子の強制連行にしても、半島で日本国内での労働者の募集をしたが、沢山の応募があって、募集の締切をしたという話があります。戦前には200万人の韓国人が日本に来ていたということですが、これらが強制連行だとは考えられません。

戦争で悲惨な事件や残虐な行為がまったくなかったとは考えられませんが、逆に大量の組織的行為があったとも考えにくいことです。

 

専門家の間でも意見が分かれる歴史問題に、私たちは正確にその真偽を判定することはできません。卑近な例でいえば、ごく最近発生した刑事事件でさえ、被告が否定した場合は有罪か・無罪かの判定は難しいことです。

歴史上の事実については、多くの人の話を聞いて、どちらが真実かを「推測する」しかありません。

それにしても、国のありようを決めていく国会議員は、この問題をどれほど勉強して「あれこれ」いっているのだろうかと疑っています。

イザベラ・バード「日本紀行」

現在の日韓関係の始まりは、明治に遡りますので、明治はどのような時代であったのか、教科書にでてくるようにではなく、生身の明治を知りたくなりました。

イザベラ・バードの「日本紀行」(講談社学術文庫)を読みました。

彼女はイギリスの旅行家で、1878(明治10年)単身日本に来て、6月から9月にかけて、日光から新潟、山形、秋田、青森、函館、蝦夷の地を旅行します。一度東京に戻ってから、10月・11月今度は神戸から大阪、京都、奈良、伊勢を旅しています。

特に東北および蝦夷地の旅は観光旅行ではなく探検旅行です。当時の日本は、中央行政が行き届いている都市や有名な観光地を別にすれば、まさに未開の地です。ここを日本人の青年通訳一人(伊藤)をお供に旅する度胸に恐れ入ります。

道路事情が悪く、また情報も極端に少ないため、台風にも見舞われて、悪天候の中、悪戦苦闘の前進をします。人力車であったり、馬であったり、徒歩であったり、ずぶぬれになったり、豪雨で増水した川を首までつかって渡ったり。

バイタリティーというのか、根性というのか。

本は、妹や友人に出した手紙を編集した形になっています。

内容は、各地の行政や地理、植物にいたるまで、よく調べてとても細かいことまで記述しています。東京や日光や新潟のこと、通りすがりの村のこと。

彼女の詳細な記述を読んでいると、彼女は旅行家とは仮の姿で、実は英国が差し向けたスパイではないかと勘繰ってしまいます(芭蕉のように)。

東北の旅では終始、蚤と蚊に悩まされます。

当時日本の僻地の村々では、灯りもなく、汚く薄暗くかび臭い生活で、多くの人は皮膚病や眼病にかかっていました。食生活も貧弱で、米(雑穀?)ときゅうりだけということも間々あります。僻地では男も女も上半身は裸だったようです。

どこにいっても外国人は珍しいく、宿屋の障子にはいくつも穴があけられ、外を歩けば、何十人も時には何百人もついてきます。

日本人は静かで、勤勉で、几帳面で、親切で、旅の途中で危険な目に一度も会わなかったと、いろいろな感心する点を挙げていますが、一方で、道徳観念は最悪で嘘をつくといっています。

道徳云々は具体的になにを指しているのかわかりませんが、ウィスキーや粉ミルク等の外国産品の偽物が横行していること、伊藤が宿代をピンハネしていることや、
各地に遊郭があること等をいっているのかもしれません。

18歳(20歳説あり)の紹介状も持たずにやってきた伊藤を雇うことに、最初躊躇しますが、やがてかれの献身的て、手際の良さに完全に信頼し、旅の途中では、重要書類や現金の半分を預けていたようです。

後でわかるのですが、伊藤はすでに別の外国人植物学者の案内の契約をしていたのですが、バードの方が条件が良かったので、無断で乗り換えたのでした。

それでもバードは伊藤の有能性を認め、彼が北海道旅行の終わりに、植物学者のもとにいくのをとても残念がっています。

彼女はクリスチャンですから、キリスト教徒としての道徳観・価値観からの判断もあると思います。宗教については多くを語っています。

京都本願寺での僧侶との議論、わざわざ伊勢神宮にいったことも、日本の仏教や神道に並々ならぬ関心があったと思われます。

「日本人は無宗教だ」と何度もいい、多くの西洋の伝道者の努力にもかかわらず、キリスト教の布教は容易ではないと推察します。

それでもなお、平穏に一生懸命いきている日本人に接して、キリスト教とはいったい何なのかに悩みます。

富士山や多くの日本の風景に感動します。

また日本の古建築や庭園や工芸品に感動しますが、一方で平民の劣悪な住居や東京の最近できた西洋風の建築をこき下ろします。

日本の舞踊や音楽特に三味線や雅楽は嫌悪の一言です。

日本人は総じて、醜く、小さく、平面的な顔をしていて、胸は平板だと辛辣な評を下します。

道徳観の欠如をいいますが、一方で、みんな子供をかわいがり、イギリスのようによっぱらいもいないし、物乞いもいないし、勤勉であり、都会の人々の新時代へのひたむきな取組に驚嘆しています。

文明国イギリスのクリスチャンからすれば、当然かもしれませんが、特に初めのころは、上から目線の感想が多々みられましたが、だんだんに、日本の良さを率直に書いていると思います。

どちらにしても、今まで歴史書や映画で見ていた日本とは異なり、外国人の目をとおして、当時の日本のリアリティーに触れることができました。

当時の朝鮮はどんな国だったのか、同じくイザベラ・バードの「朝鮮紀行」を読んでみたいと思います。

黄文雄「中国・韓国が死んでも教えない近現代史」

台湾人黄文雄著「中国・韓国が死んでも教えない近現代史」の解題です。

恐らく私自身のフィルターがかかっていると思いますので、
興味ある方はご自身で読まれることをお勧めします。

まず一言でいえば、著者は中国と韓国が大嫌い、日本が大好きという好みの問題があります。
しかし、それにはそれ相応の理由があると思います。

「中国・韓国が嫌い」については次回語るとして、なぜ日本が好きか。

 

大航海時代後の帝国主義・西欧列強は、われ先にアフリカ・アジアを分割・植民地化し、東アジアへも食指を伸ばしていた。

19世紀、中国清王朝は、「われこそが世界中で一番偉大だ」との中華思想を堅持し、李朝・朝鮮もまた、数百年にわたって中国の属国に甘んじていながら、「朝鮮は中国の次に偉大だ」と信じていた。

英国は中国の弱体化に付け込んで、アヘン戦争(1840年)を仕掛け勝利する。
戦争に負けた中国は、多額の賠償金の支払に外国からの借り入れが必要なほどに窮乏する。

アメリカやフランスも中国の弱みに付け入り、中国各地に疎開地を強要、虎視眈眈と中国への侵攻を狙っていた。

ロシアもまた、長年の野望・満州からの南化を着々と進めていた。

日本は迫りくる帝国主義に危機感を持ち、明治維新を断行、政治構造を根本から変革し、懸命に近代化を進める。

弱体朝鮮半島は、西欧列強の餌食になり、その結果、日本にも危険がおよぶと考えた日本にとって、朝鮮の近代化はどうしても必要であった。

日本は鎖国政策をとっていた朝鮮に、開国と政治改革を求めたが成功しなかった。

ときあたかも、朝鮮に内乱が起こり、その平定を口実に日本および中国は朝鮮に出兵。
それを期に日清戦争(1894年)が勃発する。
日本にとっては幸いにも、この戦争に勝利し、清から勝ち取った賠償金をもとに、さらなる富国強兵に力を入れていく。

日清戦争の終結により朝鮮は中国から独立するが、依然として改革は進まず、遂に、日本は南下を強めるロシアとの全面戦争(1904年)に到る。

周知のとおり日本はロシアに勝利するが、日露戦争の勝利は、単に日本がロシアに勝利したというに止まらず、大航海後の世界史で類のない大きな意味を持っていた。
すなわち、これは白人に対する黄色人種の初めての反撃であり、一直線で進んでいた西欧列強による世界分割の変更であった。

黄色人種の勝利によって、アジアの国々は勇気づけられ、すくなくとも精神的には西欧の呪縛からの解放を確信した。
実際、大東亜戦争後にアジア諸国は次々に独立することになった。

日清戦争で中国から日本に割譲された台湾は、毒蛇と疫病にかこまれた未開の地であったが、日本は植民地としてではなく、日本の一部として、鉄道や道路等のインフラを整備し、法を整備し、教育に力をいれた。
まさに法治国家としての出発点を作った。

このとき尖閣列島も日本が中国から奪ったというのが中国の言い分だし、
尖閣列島を日本領にしたのは、台湾分譲とは関係ないというのが、日本の言い分です。

台湾人から見る日本人は、清潔さ、公正さ、勤勉さ、責任感、規律遵守、信頼、滅私奉公、の精神をもって台湾の近代化の礎を築いてくれた。

沢山の(特に戦前に育った)台湾人は、日本を恨むどころか、感謝している。

というのが著者の(私が整理した)日本論である。
主旨は外していないと思います。

日本という国

日本社会には色々な矛盾があります。

農業は非効率で、
米の輸入には価格の何倍もの関税をかけています。

様々な業界で、政官財の癒着が取りざたされています。
農業も医療も建設も電力も。

これに対してグローバリズムの名のもとに、
ここ数年あらゆる分野で「規制緩和」の動きが続いています。

その結果多分、
農業、医療、建設、電力等々の業界での癒着は相当の薄らいだのだと思いますし、
規制が取り払われてみれば、力のあるものがどんどん強くなっていきます。

どの地方都市にいっても郊外には大型店が並び、
反対に零細な駅前商店街は軒並みシャッターを下して店じまいしています。

大型店同士の競争では大型店はますます大型になり、
大きさを梃に商品の価格を限界まで安くして客を集めます。

これらの店では安いものであれば国境を越え、
あらゆるところから品物を仕入れます。

タクシーは大幅に増え、従業員は生活がやっとという収入しか得られません。
バス会社も林立し、価格競争の結果として大事故を起こしました。

サラリーマンの給与は減少し、
それならまだしも、定職につけない若者が沢山輩出され、
多くの中高年は生活できなくて生活保護で税金を消費しています。

よくよくみると、会社が勝ったといっても、
ごく少数者の経営者が勝ったのであって、
その従業員は必ずしも優遇されているわけではありません。

貧富の差が増大しています。
日本の貧困率は世界先進30か国中ワースト5位以内だということです。
一人親の場合は、なんとワースト・ワンです。

これが「規制緩和」で私たちが勝ち取った成果でしょうか。

私は間違っていると思います。

強いものがどんどん強くなって、
「敗者にはセイフティネットを設ければいいのだ」という主張は欺瞞です。

勝者が勝ち取った戦利品を敗者に配分するなど、
ほんの一部の人だけの行動で、
大多数は勝てばますます貪欲に勝ちにいくのです。

数年前世界を震撼させたアメリカの金融資本が典型的な例です。

かつて日本は「一億総中流」といって揶揄された時代がありましたが、
民主主義の国では、社会は勝者だけ、敗者だけでは成り立ちません。
中流こそが社会を存続させているのです。

普通のおじさんやおばさんが、
細々と野菜や肉や惣菜を売って生活していたのです。

普通の生活はある意味無駄だらけです。
無駄を分け合って多くの人が人生を送っているのです。

勝者からすれば、「なんと無能な」と思うかも知れませんが、
勝った負けたなど、
「下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」です。

一生懸命やる人は一生懸命努力し、
「それなり」の富や名声を得、
それについていけなかった人は成功者に敬意を払い、
成功者もまた平凡に生きる人への思いやりがあれば、
それでいいのではないか。

しかし問題はそう単純ではありません。
かつて発展途上国といわれた国々は力をつけ、
今や、家電製品やコンピュータのメモリは韓国がトップシェアをとり、
中国も一部家電でも出荷台数トップの座を占めています。
安い賃金の国では安い製品を生産できませすから、
賃金の高い国は太刀打ちできません。
これからも多くの国が力をつけてきて、
日本の経済的優位は保持しにくくなっていくのでしょう。

どうすればいいかという決定的な解答はないかもしれません。

ただいえることは、
無知にまかせて負け組になるのではなく、
中流の人々が安心して生きていける国、
経済も、知的にも、安全保障も強い国をめざさなければいけないのだと思います。

それは「昔に返る」ではありません。
かつて競争相手もいない中で、「一億総中流」になったのとは訳が違います。

今は強い意志を持たなければ、
そのような状態にはならないと思います。

私たちは、
それぞれの持ち場でこれまで以上に努力し、
身近なこと、世界のことに関心を持ち、
批判精神をもって「これでいいのか」と問い、
事に当たっては、正義感をもって最善をつくす。

 

私にはそれ以上の方策はわかりません。
とりあえず誰でもできることだし。