日本論

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江藤淳「閉ざされた言語空間」2

CCDの業務は次のようなものだったと、Wikipekiaは解説しています。

民間通信(すなわち、郵便、無電、ラジオ、電信電話、旅行者携帯文書、及びその他一切)の検閲管理、秘密情報の取得などを使命とし、
国体の破壊、再軍備の阻止、政治組織の探索、海外との通信阻止などを主眼とし、
後に新聞、あらゆる形態の出版物、放送、通信社経由のニュース、映画なども民間検閲の所管としてこれに加えられた。

CCDは郵便,電信,電話の検閲を行う通信部門と、
新聞、出版、映画、演劇、放送などの検閲を担当するPPB部門からなり、
東京、大阪、福岡およびソウルにオフィスを置いて、検閲業務を遂行しました。

検閲は昭和20(1945)年9月10日に開始、昭和24(1949)年10月31日に終了しています。

1947年3月現在の構成人員は将校88名、下士官兵80名、軍属370名、連合国籍民間人554名、
日本人5076名、総員6168名であった(別の資料では、検閲官は1万人を超えていた)という。
因みに日本人の給料は日本が支払っていたということです。

CCDで検閲官は何をしたのか。
GHQが設定した規則=プレスコードに抵触する情報の抽出です。

プレスコードの項目は要するにGHQに都合の悪い情報で次のようなものです。

  1.  SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
  2.  極東国際軍事裁判批判
  3.  GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
  4.  検閲制度への言及
  5.  アメリカ合衆国への批判
  6.  ロシア(ソ連邦)への批判
  7.  英国への批判
  8.  朝鮮人への批判
  9.  中国への批判
  10.  その他の連合国への批判
  11.  連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
  12.  満州における日本人取り扱いについての批判
  13.  連合国の戦前の政策に対する批判
  14.  第三次世界大戦への言及
  15.  冷戦に関する言及
  16.  戦争擁護の宣伝
  17.  神国日本の宣伝
  18.  軍国主義の宣伝
  19.  ナショナリズムの宣伝
  20.  大東亜共栄圏の宣伝
  21.  その他の宣伝
  22.  戦争犯罪人の正当化および擁護
  23.  占領軍兵士と日本女性との交渉
  24.  闇市の状況
  25.  占領軍軍隊に対する批判
  26.  飢餓の誇張
  27.  暴力と不穏の行動の煽動
  28.  虚偽の報道
  29.  GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
  30.  解禁されていない報道の公表

これを見ても分かりますが、
アメリカはもとより、中国、韓国はいうにおよばず他国への批判、
東京裁判への批判、検閲制度への言及、戦争犯罪人の正当化および擁護、
占領軍兵士と日本女性との交渉、連合国の戦前の政策に対する批判等すべて封じられたのです。

CCDの通信部門は、郵便物の開封、電信電話の傍受を行い、開封した数は4年間で2億通。
プレスコードに抵触する文書は翻訳し、米軍に提出。
それをもとに、多数の人物・組織が摘発されたそうです。

また、マスメディアも同様に、プレスコードに触れる内容は放送禁止、出版禁止、時に出版物は没収されています。

 

GHQ検閲官の中には、
後に大学教授や労働組合の幹部等社会的に高い地位についた人が沢山いたそうです。
が、その実態は闇に隠れていました。

理由の一つは、彼らには緘口令が敷かれていたからですが、GHQが撤退した後にも彼らが口を開かなかったことは、それだけでは説明できません。

自分のした仕事に後ろめたさを感じていたかも知れないが、終戦直後の日本人は生活に困窮していたのだし、多くの人は彼らを非難することはできないと考えると思う。

一方そのような人こそ、個人的感情よりも大局的見地に立てば、日本が不当に烙印を押された実際を明らかにする義務感がなかったことに、一番の残念さを感じます。

とはいえ、重い口を開いた人はいました。
一部の検閲官が2013年11月NHKクローズアップ現代で証言しています。

知られざる“同胞監視” ~GHQ・日本人検閲官たちの告白(クリックしてください)

 

このような流通情報の検閲・遮断の一方で、CCDは、「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」=「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)を実行します。

当時重視したのは、日本の世論動向特に戦犯容疑者と東京裁判についての国民感情の動きでした。

昭和23年4月に出版された「25被告の表情」と、同年5月に出版された「弁護20年」を事後検閲で出版禁止にします。

前者は読売新聞記者団が編集し、東條元首相の弁護士清瀬一郎が序文とあとがきを書いたものであり、後者は土肥原賢二大将を弁護した太田金五郎弁護人の書籍だった。

著者によると、両弁護人は東京裁判に対して「正論」を吐いたので、この本を通じて、日本人が戦犯や弁護士の主張に同感するのをGHQが恐れたといっています。

また、広島・長崎の原爆投下のマスコミ報道にも神経をとがらせていました。

さて、WGIPの主要任務は日本軍国主義悪者論の定着です。

まず、GHQは日本人には特別の意味を持つ「大東亜戦争」という言葉を禁じ、
アメリカが使ってきた「太平洋戦争」の使用を強要、
その上で、「軍国主義」が「国民」と対立する概念であることを押し付けます。

昭和21年初頭から同年6月にかけてあらゆる日刊紙に、「太平洋戦争史」と題する連載を掲載させ、日本軍国主義がいかに酷く、連合軍が正しかったかを報道します。

同時にマニラにおける山下裁判、横浜法廷で裁かれているB・C級戦犯容疑者リストの発表と関連して、戦時中の残虐行為を強調した日本の新聞向けの「インフォメーション・プログラム」実施された。

この「プログラム」が、以後正確に戦犯容疑者の逮捕や、戦犯裁判の節目節目に時期を合わせて展開されていったという事実は、軽々にに看過することができない。
つまりそれは、日本の敗北を、「一時的かつ一過性のものとしか受け取っていない」大方の国民感情に対する、執拗な挑戦であった。(中略)
この時期になっても、依然として日本人の心に、占領者ののぞむようなかたちで「ウオー・ギルト」が定着していなかったことを示す有力な証拠といわなければならない。

 

GHQの指示そのものが極秘にされていたので、一般日本人は、GHQがマスメディアを裏でコントロールしていたことを知らず、日本は軍国主義の悪い国、アメリカは民主主義の素晴らしい国という、マスメディアの発信する構図に何の疑いもなく、馴らされていきます。

更に悪いことにそして悲しいことに、マスメディアや出版社は、GHQから解放された後にも、この条件反射は続き、自主規制を続けます。

これこそが日本人の精神構造に深刻な影響を与えたと筆者は指摘します。

 

WGIPについては、最近小冊子が出版されています。
関野通夫「日本人を狂わせた洗脳工作」 自由社 2015年

江藤淳「閉ざされた言語空間」

私はGHQについて、断片的には聞いていたが、殆ど何も知らなかった。
表記の本を読んで、「やはりそうなのか」と気分が落ち込みます。

江藤淳は昭和54年(1979年)米国ウィルソン研究所に席を置き、米国に保存されている公文書等から、GHQが日本に科した言論統制について情報収集し、1982年以降雑誌に発表、更にこれを文庫文としてまとめ、1989年「閉ざされた言語空間」(文芸春秋)として出版しています。

いったいGHQは何だったのかを世に問うたのは、江藤が最初だったのではないでしょうか。今はGHQ検証本が沢山でていますが、著者の仕事は金字塔に位置付けられると思います。

彼は、極力一次資料に従って冷静に論を進めていますが、行間には悔しさや憤りが感じられます。

今中国では強権をもって言論統制敷き、中国共産党を脅かす言論人は、拘束あるいは投獄しています。戦前の日本もそのようなものだったのだろうかとぼんやり理解しています。

それに比べて、BHQがしたことを普通の人は殆ど知りません

戦争終結前の1944年11月、米国の統合参謀本部の命令で、GHQはCCD(民間検閲局)を組織し、日本が降伏後ただちに、日本の言論統制に乗り出します。

最初に著者は 「これはポツダム宣言違反だ」といいます。

ポツダム宣言によれば、日本は征服による敗北ではなく、合意による敗北であり、日本軍は無条件降伏したが、日本が無条件降伏したわけではない。従って言論統制を受けるものではない、と日本も実はマッカーサーも当初は理解していたといいいます。

日本の報道機関もそのつもりで最初はかなりい自由に報道していたが、これではGHQにとって都合が悪いことが分かり、GHQは高圧的に統制を強めます。

昭和20年9月15日付けの朝日新聞で鳩山一郎は次のような記事を書きました。
「米軍が原爆を落とし、一般市民を殺し毒ガスを使用したことは否定できないのだから、米国にもしっかりと認識してもらおう」というような内容でした。

また、17日の記事は米軍の婦女暴行を非難するものだったのです。著者は、これは石橋湛山が書いたと推測しています。

これに対して、CCDは朝日新聞を48時間の発行停止処分にします。

更に、ニッポン・タイムスも検閲を規定通り受けなかったという理由で、同じく48時間の発行停止を受けます。

これを境にGHQによる言論統制は熾烈になっていき、日本の言論は完全に封じられていきます。

しかも、GHQのやり方は、表立った言論統制ではない分、知らないうちに日本人の精神構造を根底から変えてしまったといえます。一口でいえば、GHQの行ったことは巧妙で大規模な日本人の洗脳です。

著者はいいます。

「国内の大逆罪裁判にかかわる言論統制と、極東国際軍事裁判の是非に関する検閲、(中略)
前者が防衛的であり、既存秩序と体制の維持を意図していたのに対して、後者の意図は明らかに攻撃的かつ破壊的のものだった(以下略)」

また、これは明らかに、米軍が作成し1946年に発布した日本国憲法21条に違反するといいます。

憲法
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

アメリカこそ民主的なのだと言いながら、まさかその裏で徹底的な言論統制をしていたとを、日本人には思いもよらないことでした。

CCDによる洗脳はどのように実行されたか。

集団的自衛権と国際正義

実は、集団的自衛権そのものについて議論するのではなく、日本人が身近な紛争や国際紛争に対して、どのように行動するかについて議論したいと思います。

集団的自衛権に反対する人は次のように言います。

「戦争は悲惨で、一番の犠牲者は女子供だ」。
「集団的自衛権を行使すれば、日本は戦争に巻きこまれる危険性が増大する」。

しかし、私は何かおかしいと思う。

卑近な話から始めましょう。

目の前で子供がいじめられている。あるいは、女性や老人が暴力にあっている。

このような事件に接して、私たちはどのような行動をとるか。

子供の喧嘩ならともかく、加害者が中学生以上の悪ガキだったら、自分で事件に直接立ち向かう人は殆どいないで、大半の日本人は尻込みして知らん顔をするか、せいぜい警察に通報するのが、いいところです。

最近イジメや弱者への暴力が頻繁にニュースになります。
ワイドショーではコメンテーターが、「行政が悪い」とか「警察がしっかりしないからだ」と行政や警察を批判します。

コメンテーターが、私たちと大して変わらないいわゆるタレントだということが、大きな問題です。
私たちは自分と等身大のどうでもいい人のどうでもいいコメントに違和感を待たず、
「そうだね。私もそう思う」と安心します。
私と同じような人が代わりに考えている。
自分で考えることも、反省することも、後ろめたさを感じることもない。
要は「みんなで渡れば怖くない」、いや「みんなで渡らなければ一層怖くない」です。

これでいいのだろうか。いい筈がない。

今問題になっている集団的自衛権の議論はどうだろう。

「戦争は悲惨で、一番の犠牲者に弱い立場の女子供だ」
ということに誰も反論しないが、「少しでも危険に近寄りたくない」、「面倒なことに関係したくない」、「みんなで渡らないのが一番だ」といっているのではないか。

ここで重要な概念=正義や正義感や社会性の考察が欠落している。

国内では警察機構が私たちを守ってくれるのでそれでもいいが、国際問題は違う(国連は機能していない)。

日本人は国際問題に一層無関心です。
殆どの日本人は、中東やアフリカやチベットの問題に関心がありません。
それは「自分さえよけらばいい」という考えの裏返しだと思う。

嘗て、イラクがクエートに侵攻したとき、国際社会は協力して武力でイラクを排除しました。

日本は、自衛隊を派遣をせず、大金をもって支援しましたが、戦後クエートは日本への感謝のメッセージを出しませんでした。

日本では、「大金を払ったのに…」とクエートのやり方に不満を述べ、人々は政府の広報の不手際を非難しましたが、 日本人の反応と西欧人の反応は全く異なります。
一連の戦闘で死者を出した西欧諸国の人々は、「日本は金で済ますのか」と日本に不信感を持っています。

いま日本で議論している集団的自衛権では、日本が危険に陥ったときはアメリカは日本を支援するが、アメリカが攻撃を受けそれが日本に危険が及ぶときだけ、
日本はアメリカを支援すると首相が説明しています。

この片務的契約を本当にアメリカは納得しているのだろうか。万一の場合アメリカ政府は契約に従って動いてくれるだろうが、アメリカ国民は認めないでしょう。

ところがこの程度のことも、野党は日本の危険が増えると反対します。

アメリカ国民はそれを理解できないでしょう。
「国際正義」の観点からみて、「日本はおかしい」とみられるだろうし、これは危険です。

この感情の延長上で、全然別の話でも日本は嫌われる。

韓国が世界でディスカウント・ジャパンを展開していますが、結構多くの西欧人が韓国の言い分に同調し、日本に批判的な態度を示しています。

どの程度日本人の国際感覚が影響しているかは分からないが、影響しているのは間違いないことです。

私がいいたいのは、日本人は「戦争は悲惨だ」ともっともらしい主張をしているが、本当は自分さえよければいいというのが内実で、これは国際社会では許されないということです。

こういうとすぐ右翼だとか、「積極的に戦場に出かけるべき」だ決めつける人がいる。

なぜこうなるのか。

だんまりを決め込むのと、カーボーイよろしく正義の味方をきどるとの間には、沢山の段階があり、この中に回答を見つけなければいけないのです。
広い見識と明快な論理が必要です。

また、論理と政治は違います。
本当はアメリカが嫌いだが、同盟を結び友好的に行動するとことは当然ありです。

国際社会で孤立することは、避けなければいけません。
先の戦争で、日本が戦争に突き進んだ一因は国際的孤立だったのです。

孤立しないように常にアンテナをめぐらし、行動しなければいけません。

私たちは議論することを避けてはいけません。

日本人は議論=喧嘩と考える人がとても多くて、喧嘩が嫌いだから議論も嫌い、結局ことを穏便に済ませようとします。
「議論が嫌い」の最悪の状態が戦前にも、いや戦後にもありました。
言論・新聞は戦争中には軍に協力し、戦後GHQに脅されるとすぐにGHQに擦り寄り、
日本批判にまわった象徴が朝日新聞です。

日本では右も左も幼稚で碌に考えないで、極端に走ります。

先日問題になった、自民党の勉強会で、
百田何某の発言、自民党議員の発言、沖縄批判、ジャーナリスト批判は、論理の欠乏です。

思考停止した人たちの行動は危険です。
早いうちにつぶさなければいけません。
その意味で先の国会銀員に対する対応はよかったと思います。
ただし、特にTVの愚劣さも批判されなければいけません。

さて、私たちになにができるか。

私たちは一国民にできることは微々たるものですが、それでもできることはあります。このようにブログで自分の意見を発信することも、WEBの様々な場で意見を述べることも、新聞社や公共機関、政党やホワイトハウスにでも意見を伝えることができます。

要するに、私たちは国内・国外を問わず、無関心ではいけない。
そして何が正しいかいつも考えて、できるだけの行動をすべきだ。

私は、今あるサイトで、韓国人や西欧人と議論しています。

私ができるのはその程度です。
逆にいえば、その程度はいつでもできます。

益井康一「日本はなぜ戦争を始めたか」

益井康一[日本はなぜ戦争を始めたか](光人社 2002年)を読みました。
氏は以前ご紹介した[なぜ日本と中国は戦ったのか]の著者です。

前回も述べましたが、著者は毎日新聞の従軍記者として、
満州事変、日支事変で日本軍と行動を共にしていますので、
例え誤認があったとしても、作為的なねつ造はないと安心して読むことができます。

本書は以下の3部からなっています。

第一部 満州事変の真相
第二部 盧溝橋事件の真相
第三部 日米開戦の真相

何れも、日本の政府・軍の動きを細かく追っていますが、
逆にいえば相手国・中国や英米やロシアの記述は希薄です。

満州事変と盧溝橋事件は、日本が主導的にかかわったので、
ほぼここで書かれていることは真実なのだろうと思いますが、
日米開戦については、アメリカ・イギリス・ソ連が主導したにも関わらず、
これについても日本の動きばかりを追っていますので、
これでは「日米開戦の真相」はわからないと思います。

 

この本を読んで強く思うのは、
明治の昔から、もしかしたら江戸時代から、
ロシアあるいはソ連が、いかに深く日本の外交政策にかかわってきたかということです。

ソ連は大きな国土を有していますが不凍港が少ないので、
どうしても大海に接する温暖な領土が欲しかった。
それは今日でも変わることのない悲願だと痛感します。

ロシアは日露戦争の結果、満州・朝鮮の権益を日本が譲渡しましたが、
その後も、革命ソ連はしつこく満州への進出の機を伺っていました。

そんな中、日本は満州にたくさんの日本人を送り込み、
同時に南からたくさんの漢人も流入してきました。

おそらく満州では、当時ゴロツキが跋扈し利権や勢力拡大に明け暮れていたのでしょう。

そのような中、張作霖は貧しい家庭から満州の最大勢力になり、
遂には1926年12月、北京で自らが中華民国の主権者であると大元帥を名乗りました。

時あたかも、蒋介石の南軍は張作霖の北軍の討伐の攻勢をかけてきます。

当時日本は、山東半島青島の権益をドイツから受け継ぎ、
この地に多くの日本人を居住させていましたが、
ここは南軍の北京への進軍の通過点になるため、
この地が戦場になることを恐れた日本は、
張作霖に満州へ引き上げることを強く要望します。

張作霖は当初拒んでいましたが日本の説得に応じて、
1928年厳重な警護のもとに奉天に向けて出発します。

ところが、奉天に到着する直前、
列車は爆破され、張作霖は大けがを負い、間もなく死亡します。

筆者は、張作霖爆殺は関東軍参謀・河本大佐の策略だとしています。
これは通説で、多くの本がこのように書いています。

しかし、Wikipediaでみるとソ連陰謀説があるようです。
益井は本書の中で、列車は転覆したと書いていますが、
Wikipediaでは張作霖の車両は転覆せず、天井は吹き飛んだが床は残っていたといいます。

歴史の通説もどこまで本当なのかとわかりません。
この通説は東京裁判で「証明」されましたが、
東京裁判がGHQに都合のいいように歪曲されたものなので、
今になってみると東京裁判そのものを徹底的に検証する必要があります。

さて、張作霖殺害に続く満州事変では、
石原莞爾が主導する関東軍が暴走したのは間違いないようです。
軍法会議にかけて厳重に処断しなければいけなかったにも関わらず、
軍中央は、「まあ、いいか」とやり過ごしています。

 

盧溝橋事件から日中全面戦争にずるずると入っていきます。

この事件は、1937年北京近郊の盧溝橋で、日本と国民党軍とが衝突した事件ですが、
これは現在では、「コミンテルンが日本と中国・国民党が戦うように仕組んだものだ」
とする見方が大勢のようで、 この本でもその文脈で書いています。

すなわち、盧溝橋近辺に駐在していた日本軍は、
ソ連との衝突に備えて、国民党軍に予告し、夜間演習をしていましたが、
夜陰に紛れて発砲があります。

日本軍は国民党軍に事件の詳細を求めますが、国民党軍は「心当たりがない」と回答してきます。
日本軍も戦線拡大を嫌い、事態収束に向かおうとしますが、その後も散発的に発砲が続くなか、
国内では、軍中央はバタバタ、ラジオは跳ね上がり放送をするなどで、
日中双方が相互不信に陥り、遂に日中の全面戦争にのめり込んでいきます。

本書では、当事件での日本軍と国民党軍の前線でのやり取りや、
軍中央の動きを細かく追っています。

第三部の「日米開戦の真相」では、当時の日本の政府、軍の右往左往が細かく書かれています。

 

一読して色々なことを考えます。

まず第一に、日本という国は、戦争という国の重大危機を前にしても、
どうしてこのように右往左往するするのだろう、
と情けなくなります。

軍中央は、関東軍の行動に激怒してみたり、黙認してみたり。
中国軍と和解しようとしたり、猛烈に攻撃してみたり。

大正(1912年)から終戦(1945年)までの約30年間に、
約30の内閣が成立と解散を繰り返しています。
平均で毎年毎年、総理大臣が入れ替わっています。

先の戦争の責任を一身に受けた東条英機は、3年近く総理大臣を務めていますが、
彼にしても欲しくて首相になったわけではありません。

優柔不断な近衛文麿が総理の場を投げ出したから、
お鉢が回ってきたのです。

ヒトラーのように、自ら政権を奪ったのではありません。

日本の大正・昭和のリーダーは何時も半身に構え、自信なげに逃げ腰です。
骨のある政治家がいなかったのは、なぜなのだろうと不思議に思います。

とはいえ、軍が主導した挙国一致の新体制=大政翼賛会の時代に、
身をもって反対した政治家が少数ではあったが、
いたということも事実だし、彼らの信念には畏敬の念を持ちます(斎藤隆夫、中野正剛等)。

さて、日本が軍の独断を許した最も大きな仕組みは統帥権です。
これは、大日本帝国憲法下における軍隊を指揮監督する最高の権限で、
唯一天皇が持つと定められていました。

したがって、戦争についての最後の判断に、
文民政治家は立ち入ることも、口出しすることもできず、
これをいいことに軍は天皇に都合のいい報告をし、
天皇を介して国を思う通りに動かしたのです。

陸軍大臣、海軍大臣はそもそも軍の出身だし、
東条英機は陸軍大臣の経歴者でした。

要は、大日本憲法の下では、
軍は天皇を利用して好き勝手ができる仕組みがあったのです。

それにしても(もしかしたら「だから」)、
日本が戦争に前のめりになっていった時、それに反対する政治家も僅かしかいなかったし、
新聞・ラジオはむしろ、軍を煽ったという事実を忘れてはいけません。

宮脇淳子「真実の満州史」

日清、日露戦争の後、日本がずるずると大戦争に突入する契機になった満州事変。

満州は、そもそもどのようなところだったのか知りたくて、
宮脇淳子「真実の満州史」(ビジネス社、2013年)を読みました。

記述は学術的というより談話をまとめたという感じで雑な感はありますが、
概論として読めば、それなりに価値があります。

ただし、著者は独断的に語っていますので、
へそ曲がりの私は、ところどころ「そうかな」と疑問符をつけながら読みました。

本書に従って、満州での推移を整理します。

日露戦争終結後、日本とロシアは秘密条約を結んで、
朝鮮、満州、モンゴルの権益を分け合いました。

と同時に、日本は清朝と条約を結び、ロシアの権益を日本が引き継ぐことを認めさせ、
日本は、条約に従ってまだ未開発であった満州に、人や金をつぎ込み開発していきます。

1913年には、朝鮮の釜山から鉄道で北上し、満鉄からシベリア鉄道を使って、
モスクワ・パリに行けたということを今回初めて知りました。

満州開発について、本書は次のように書いています。

満州は日本人によって、今のように金を生み出す土地となりました。
やはり日本人の投資によって現代の中国があるのです。
例えば、アメリカ合衆国では西部の開発にしても、
ユタ州やミネソタ州などでは開発が進んでいません。
日本はそれに近い奥地を開発して、生産性のある土地に変えました。
日本人が満州へ行く前は、狩猟民と農民だけがいて、
何も生み出さない土地でした(270P)。

日本は満州国で真面目に国造りをしました。
道を直して、電気を通すなどインフラを整備し、
貿易も盛んにして豊な国にしようと頑張り、実際にそうなっていきました(274P)。

しかし、中国で辛亥革命(1912年)、ロシアでロシア革命(1917年)が起こり、
政権が変わると事態は一変します。

ソ連は日露秘密条約を暴露し、中国革命政権は日本との条約を一方的に破棄します。
1919年、世界同時革命を目指すコミンテルンが誕生すると、
コミンテルンは中国の共産勢力の強化をはかって、反日工作を強めていきます。

ロシアがソ連になって過去の関係をすべて無視したのと同じように、
ソビエトの後ろ盾を得た中国も、過去の人間関係や国際関係、条約を全部棄てました。
前の王朝であった清朝が決めたことはまだしも、
袁世凱が決めた21カ条の要求にも反対運動が起こり、約束を反故にしようとしました(179P)。

当然日中での衝突が起こります。

日本にしてみれば、それまで投資してきたものを、突然捨てろと言われても困ります。
投資がやっと実る時期になって、すべて置いて出ていけと言われたら、
「はい、そうですか」とはいえません。
ですから、
日本は満州を日露戦争で「十万の生霊、二十億の國ど」を費やして得た正当な権益だと主張し、
満州をめぐって日中が対立していくのです(180P)。

加えて、かつてロシア革命勃発当時、革命阻止に動いたアメリカは、
それまで良好な日露関係にあった日本に、
ロシア領への出兵を要求した(1915年シベリア出兵)にも関わらず、
1930年代後半、第二次世界大戦がはじまると、ルーズベルトはチャーチルの強い要請を受け入れ、
手のひらを反して日本に圧力をかけ、日米開戦に仕向けたのです。

日本は孤立し、大戦争に突入していきます。

20世紀の歴史は、日本がまず日露戦争でそれまでの白人絶対の歴史を変えて、
満州事変でも世界の仕組みを大きく変えました。
第一次世界大戦以外は、すべて日本のせいで世界史が動いたのです。
(中略)

日本は謀略でなく正論を持って戦争を行ったので、
他の白人諸国はおおやけに文句を言うことができません。
「植民地主義がひどすぎる。なぜ人種が違うだけで奴隷扱いするのか。
白人はけしからんのでアジアの人たちを救ってやりたい」というのが日本の主張で、
本当に正道の理由でした。

そして白人の圧力を跳ね返した日本人が強くなったので、
白人は正面切って文句をいえなくなりました。
そのため、「日本をなんとかおさえなくてはいけない」
と背後に回って組んだというのが、世界の歴史なのです(271P)。

いわゆる自虐史観の対極にある史観で、
数年前まで、このようなことをいう人はいなかったと思います。

現代史を色々な観点から考察しなければいけません。

情報をたくさん仕入れて自分なりの歴史を構築することが重要だと思います。