私的なこと

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孫のこと、家族のこと、私のこと

また入院しました

7月の下旬は、35度近くの猛暑日が続きました。
私は極力日中は外出しないようにし、夜寝るときはエアコンをつけて寝るのが常でした。
エアコンは余り使いたくないので、タイマーをできるだけ短い時間に設定していました。
7月28日は気温が下がり、夜も久しぶりに熱帯夜をまぬがれました。
「これでやっとエアコンのお世話にならなくてゆっくり休める」というところですが、そうはいきません。

私は高層住宅の9階に住んでいますが、
周りに高い建物がなく、時として猛烈な強風に吹きさらされされます。
当日もそういう日でした。
普通に開口をあけると、家の中は台風状態です。
室内の風の強さに合わせて開口の幅を調節すると、
南か北の何れかの開口でピューピュー音がして、のんびりしている状態ではありません。

そんな訳で当日は、窓をしめてエアコンをせずに休みました。
翌29日朝から体調が優れません。
実はその日は、掛かりつけの総合病院の皮膚科に薬をもらいに行くことにしていました。
午前は患者が多いので午後に行くことにしました。

体調がおかしいので朝から何度も検温しましたが、
毎回38度近くの値を示します。
私は滅多に熱を出さないのでただごとではないと直感しました。
「熱中症に罹ったな」と思い、予定通り病院に行き、皮膚科、内科と順番に診てもらいました。
内科はいつものことでずいぶん待たされて、診察をうけました。
「CTを撮ります」

再度診察室に呼ばれたときは、内科の受付をして4時間になろうとしていました。
「こんなに待たせて」私はまず文句をいいました。

医師はそれには返答しないで、
「肺炎ですね。すぐ入院です」
えっ「何日くらいですか」
「10日から2週間」です。

今回は入院の準備もないまま、
1日もベッドを離れることができなく、
やっと本日11日退院しました。

My Golf

このブログの副題では、「.NET、 LINQ、 XML、CMS そして少しの脱線と」となっていますが、
泥臭くプログラミングしていると、
プログラムのお話で取り立ててご紹介するようなことも思いつかなくて結局「少しの脱線」ではなく、
脱線だらけになっています。

私は50歳過ぎてからゴルフを始めたのですが、
口の悪い級友が「ゴルフのハーフのスコアは、結局始めた年台以上にはならないのだよ」といいました。
(30歳台で始めればハーフ30台、40歳台では同じく40台、50歳台では50台という具合です)

私は「そんなことがあるか。
1年でシングルになった人だっているのだから。
シングルとは言わないが、1年で90(ラウンド)位にはなってみせる」と意気込んで始めたのですが、
それから随分経つのに未だに90を切れないでいます。

理由はいろいろあると思います。

理由1. 
やはり歳をとると体の柔軟性がなくなり、
下半身の安定性に欠けてくるので正確にまた強くボールを打てません。
これはどうにもしようのないことで、それを補うには徹底した練習しかありませんが、
それほど練習する時間も体力もないので、これを改善することはできません。

理由2. 
これまでいい先生に出会いませんでした。
ゴルフを始めたとき、折角だから先生にチャンと付こうと思って、
ある先生に1年くらい毎週見てもらっていたのですが、
私には彼の言うことがわかりません。
ゴルフのスウィングは一瞬のできごとなので頭で考えることと口でいうことと、
実際に体で体現することが異なります。

先生が自分で思いいうことが、実際に彼の動作を正しく表現しているのか問題ですし、
その言葉を聞いた生徒が先生のいうことを正しく理解したか問題ですし、
更には聞いたことをその通りできるかどうか問題です。

人それぞれに体格も体力も体の使い方の癖も違いますので、
「自分流」を口で説明しても相手に伝わらのいのです。

理由3.ゴルファーの性格。

私はゴルフに向いていない性格かもしれません。
私は何事も理詰めで考えます。
これはゴルフに向いていません。

考え、徹底的に練習すればいいのですが、
考えそれに見合った練習をしないのは最悪です。
「テイクバックはこうあげて」
「トップでのクラブの角度はこうで」
「手の位置はこの辺りで」と理屈はよく分かっているのです。

テレビ観戦は好きですし、
ゴルフの「この一冊であなたもシングル!」というような本を何十冊も持ち、
ビデオやDVDをおそらく20本以上は持っていて、練習もそこそこするのですが、
頭で考えることと体ですることとの乖離が大きいのです。

ゴルフのスウィングは一瞬のプレーですので何よりも思い切りが大切なのです。
テイクバックの動作を始めてから色々考えるのは最悪なのです。
スウィングでは頭1、体9位の役割でなければいけません。
私は頭9、体1ですから、これではうまく打てるはずはありません。

私は、昨年秋から近くのダンロップゴルフスクールに通っています。
ここのいいところは、毎回ビデオで自分のスウィングが見えることです。

私は見る目は持っているのですから、
自分のスウィングを見ればいかにひどいものか誰からも言われないでもよく分かります。

問題はここからです、
分かったからできるわけではないので、
自分では言われたことを一生懸命やっているのですが、
ビデオを見るとうまくありません。

「テイクバックでトップの位置はここに上げて」から体が動くのですから、
そこから「ヨイショ」とオーバースウィングが直りません。

毎回毎回先生から同じことをいわれます。

「分かっているよ」

でも、ダンロップゴルフスクールでは一貫した指導方針で分かりやすく、
しかも本人が確認できますので、
欠点を気をつけて練習していけばある程度進歩があるだろうと考えています。

訳のわかること 2

「建築家の訳のわからない話を断罪したい」というのは穏当ではありません。

もう少し優しくいえば、「建築家の思考プロセスをコンピュータ上で白日の下に曝け出したい」という願望がありました。
もちろん無謀なことですが、ただ「それは無謀だよ」でなく、どこがどうして無謀なのかを見たかったのです。

 

取り掛かるべき作業は、二つあります。
一つは思考のプロセスを展開してみせる、道具としてのロジックです。
その究極の限界は計算可能性の議論で分かりました。

現実的に大切なのはコンピュータの勉強です。
当時は、汎用コンピュータにパンチカードを積む時代でした。
(私は少し恵まれていて、テクトロ社の端末ディスプレイで作業することができました)

やっとFORTRANが使える程度で某研究所に就職し、LISPの仕事を少ししましたが、
LISPのデータ構造の意味さえよくわかりませんでした。
プロダクションシステムを使った医用のマイシンがある程度の評価を受け、ミンスキーのフレーム理論が注目されていましたが、挑戦する道具立てに関しては早くも前途難でした。

もう一つ取り掛からなければいけない作業は、建築のデータや建築についての知識がどのようになっているのか。
その表現は、もちろんコンピュータの道具立てと深く関連しますが、そのまえに、日常言語でもいいのでそれらを整理しなければいけません。
行き着く先は、建築とはなにか、知識とはなにか、言語とはなにかです。

科学哲学、分析哲学、言語哲学、はてはカントまでかじりましたが、「わかった」より「分からない」が増す一方でした。

たとえば、有名なニュートンの方程式があります。
F=ma (F:力、m:質量、a:加速度)
「『あらゆる』場合に真である」とどうしていえるのか。
有限回の実験で「証明」したのか。
理論なのか。理論とはなにか。

1 + 1 = 2 と
ニュートンの運動方程式と、「明日は雨が降る」と「あの人の名前はA君です」と正しさは同じなのか。

これらの正しさの根拠は同じではない。
カントは「純粋理性批判」で綿密に知識について分析しています。

私は数年間、気が狂いそうなほど考えました。
しかし、分からないことだらけです。

結論を出しました。
「カントでさえ、多くの批判に曝され、完璧ではない。
まして私にはカントほどの粘着性はない。
ゲーデルほどの天才でもない。

しかも取り掛かるには遅すぎた。
凡才はこれが限界だ。
これで終わりにしよう」

私は、自分にできることを、精一杯やっていくことにしました。
知識工学がナショナルプロジェクトになる何年も前のことでした。

余談ですが、大学の建築設計の課題は、私にとって仕事をこなすのに生涯最高の訓練になりました。
課題の提出期日は厳守です。設計図とパースという説明用の絵を提出します。
4年生になると、自分は図面一枚を仕上げるのに何日何時間必要か分かってきます。
今回の提出図面は何枚になるか、それによって提出日の何日前まで考える時間があるか逆算します。
そして、許された時間一杯、「ああでもない。こうでもない」と考えに考えます。
設計では絶対的正解はなく、色々な案を練り、何かを生かし何かをあきらめなければなりません。
そして持ち時間一杯考え尽くせば、不満であってもその時点での案をまとめなければいけません。
後は、何日かカンテツし朦朧とした状態で課題を提出するのが常でした。
仕事をこなすとは、そういうものだと思います。

 

私は、フランスの作家カミュが好きです。
有名なのは「異邦人」で、これは映画にもなりました。

彼は不条理の哲学を唱えます(「シジフォスの神話」、「反抗的人間」)。
「世界は不条理に包まれている。
絶対的真理はない。
人生をよりよく生きるより、より多く懸命に生きるしかない」

小説「ペスト」では、医師リューが懸命にペストと戦っていきます。
彼の思想がもっとも分かりやすく表現されていると思います。

(因みにカミュはタレントのセイン・カミュの大叔父でノーベル文学賞を若くして受賞しています)

訳のわかること

「訳のわからないこと」の対極として「訳の分かること」があるとすれば、
「訳が分かる」とはどのようなことでしょうか。

「訳の分からない」ことからの決別を決意した当時、
「それなら、訳が分かるとは何なのか」に興味がありました。

確か岩波から出ていた翻訳本で「計算可能性理論」のような本を読みました。
この本は今は手元にないし、インターネットで探しても見つかりませんでした(タイトルが違っていたかもしれません。後日記:デイビス著「計算の理論」でした)。

ややこしいが、分かりやすい本でした。
チューリングマシンから始まって、ゲーデルの不完全性定理まで解説があったと思います。

チューリングは非常に単純な機械=チューリングマシンを考案します。
これは一本のテープと読み書き可能なヘッドを持ちます。
この機械にプログラムを与え(プログラムを与えるという言い方は正しくなく、機械は完全にハードとして作られています)、テープに条件を入力すると答えを同じくテープに書き出しヘッドの動きを止めます。

これで例えば、足し算をやって見せて、「この機械は足し算を確かにやったよね」と確認していきます。
次々に「目の前で」計算をやっていき、しまいには驚くほど複雑な計算もします(たとえば関数計算とか)。

さらには、
別のチューリングマシンがやることをシミュレートする万能チューリングマシンまで作って見せます。

「ここでお見せしたのは、種も仕掛けもなく、ちゃんと計算しましたよね」
と誰もが確かに計算をしていると納得します。

これぞ計算可能。
チューリングマシンはどんなことでも「訳の分かる」形でやってのけるように見えます。

しかし、では「何でもできるのか」という挑発的疑問に対して、次の証明をし否定的結論を導きだします。
すなわち、「与えられた条件とその解となるチューリングマシンが与えられたとき、
どのようなケースでもこれが正しく計算するかどうかを判定するマシンは作ることは出来ない」というもので、これはチューリングマシンの停止問題といわれています(多分少々乱暴な説明だと思います)。

詳しいことは忘れてしまいましたが、当時私がほしかったのは、究極の「分かる」というものがあるのかないのかということでしたので、「こういった厳密さでもってすべて解ける訳ではないという証明」で十分でした。
少なくとも「ある現実的命題があって、これを正しいとか正しくないとか判断する汎用的な論理機械をつくることはできない」と理解していました。

余談ですが、1900年以降厳密な数学の構築が必要になったとき、公理を立てて確実に証明の積みあげをしていけばいいのではないかとの予想のもとで、数学の再構築が試みらましたが、1930年代になって逆にその手法の限界(あるいはその不可能性)の証明がされていきました。

一番有名なのはゲーデルの不完全性定理ですし、直感的な分かりやすさからいうとチューリングマシンだと思います。
まったく違うアプローチでしたが、ゲーデルの不完全性定理とチューリングの停止問題は等価だといわれています。

このような1930年代の数学基礎論の成果は、現在の計算機の発展に大きく寄与しています。
ご承知のとおりチューリングマシンは現在の計算機の理論的基礎をなし、チャーチが考案したラムダ式はLispの理論的基盤であり、最近ではVS2008でもとり入れられています。(因みに、アメリカ情報処理学会=ACMの研究者に贈られる最高賞はチューリング賞です。)

(私は数学者ではないし、随分昔に勉強したことで、大半を忘れてしまい厳密な説明としては大いに怪しいので、興味をお持ちのかたは、ご自分で勉強されることをお勧めします)

建築家 そして決別

時々テレビの「大改造 ビフォー・アフター」を見ます。

建築設計は、空間・時間のパズルを解くようなものです。
これは単なるゲームではなく、そこで生活しあるいは通り過ぎる人々と同じ視覚的、聴覚的、時には臭覚的美意識を共有しますし、さらには生活様式そのものについてさえ人々と美意識を共有します。

私は建築設計が好きで、大学の課題では寝食を忘れて設計に没頭したものです。

大学を卒業するとき建築科の学生は卒業設計をします。
日本全国の各大学からそれぞれ1作品が選ばれて持ち寄り、全国の大学を廻ります。
わたしはその年母校から選出され、全国の卒業設計展を巡ったことを今も誇りに思っています。

大学卒業後、大手ゼネコンの設計部に入社、建築家の卵として朝から晩まで(本当は夕方まで。必ず定時で退社していました)図面を書いていましたが、もっと勉強して憧れの建築家に少しでも近づきたいと、上京し某大学の大学院に進みました。

しかし、建築を勉強し一級建築士の免許を取得、いざ建築家になろうとしたとき、職業としての建築家の現実に始めて直面しました。

国家試験に合格すれば晴れて建築家ですが、建築家は医者や弁護士とは違って、事務所を構えれば仕事がくるものではありません。

建築工事は数千万円以上のお金が掛かります。
当然建築士だというだけで仕事を頼む人はいません。

その人がすばらしい建築家であると世間に認められる前には、人が設計を依頼してくる環境を作らなければいけません。

一番分かりやすいのは組織の一員として仕事をすることです。
ゼネコンの設計部や名の通った建築事務所で社員として仕事をし、機会を見つけて独立することです。

しかし組織が嫌いな人は、自分で仕事をとってくるか、どこかの下請けで図面を書かせてもらうか、お手伝いの仕事にありつくとかしなければいけません。

中には、コンペとか大学の先生になることで、世間への売り込みに一歩先に出ることはできますが、そのような幸運はメッタにあるものではありません。

幸運に未だめぐり合わない若者は、自分で自分を売り出すことに懸命です。
その結果、とてもよくある建築家のタイプはカリスマ風です。
訳けの分からない難しそうなことを言って相手を煙にまき(自分も酔いしれて)、
夢うつつの中で仕事をしてしまうのです。

仕事そのものが出来ないわけではないので一生懸命やり、「さすが先生!」と言われ、
「建築家」らしい建築家になっていくのです(これもめったに成功しませんが)。

このような建築家崩れが建築計画の研究室の周りには沢山います
(いました。私もそうだったと思います)。

しかし私は訳の分からない議論が嫌いでした。
なぜ建築設計にハイデガーの「存在と時間」が必要なのか。
チョムスキーの言語理論と建築とどんな関係があるのか。
アレキサンダーのデザインパターンが設計にどれ程役に立つのか。

もちろんすべての建築家が嫌なやつというわけではありません。
大学院の授業で丹下先生(東京都庁等の設計者)の講義を聴講しました。
丹下先生は自分の設計について模型を持ち出して説明してくれましたが、
ハッタリ的なところも奢ったところもありませんでした。
若いときからコンペで名を上げ、順調に建築家の道を駆け上った、
大変幸運な建築家の一人であったと思います。
(私が大手建設会社を辞めて大学院を目指したのは、
実は丹下研究室に行きたいと思ったからだったのに、
丹下先生が建築学科から都市工学科に移籍していたのを知ったのは大学院受験の直前で、結局建築学科を受験をせざるを得なかったことが、私の一世一代の失敗でした)

わけのわからない議論の世界に身をおき、のた打ち回る人生は考えただけで耐えられませんでした。

「もっと訳けのわかることをしよう」
建築と決別することにしました。30歳のころでした。

あんなに好きで、大阪で仕事をしていたときは休みになれば奈良の古建築を見て廻り、上京してからも機会ある毎に評判の建築を見て廻っていたのに。

とても悲しい思いでした。