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WordPress プラグインの日本語化 2

WordPressやテーマやプラグインは頻繁に更新されます。
HPを閲覧している人には関係ないのですが、問題は、開発者が接するテーマやプラグインのメニューや説明部分です。

WordPress自身は日本語化されていますので、新たな手間は必要ないのですが、テーマやプラグインの更新は、古いフォルダーをそっくり削除して、新しいソースに入れ替えますから、せっかく作った日本語ファイルは跡形もなくなり、メニューや説明部分は全て英語の記述になります。

更新があるたびに、Poeditでメッセージに日本語を付けていくのは、負担になり面倒です。

一つの解決策は、以前作成した[po]、[mo]ファイルを、元あった場所にアップすればいいのですが、プラグインが大きく変わった時は古い翻訳は役に立ちません。

最新のプラグインソースを基にPoeditを使って、英語のメッセージファイル(po)を自動で作成するか、プラグインによっては、訳がついていない英語のdefault.poというファイルがありますので、これに以前の翻訳を可能な限り自動で埋め込み、後はPoeditで訳を補足していくという方法を考え、そのためにプログラムを書くことにしました。

翻訳対象は最新の[po](default.po)で、埋め込むのは古い[ja.po]ファイルです。

[ja.po]ファイルは実は次のようになっています。

#: core/class-fire-prevdem.php:285 core/init-base.php:267
msgid “”
“Many layout and design options are available from the WordPress customizer ”
“screen : see your changes live !”
msgstr “”
“様々なレイアウト,デザインオプションがWordPressのカスタマイズ画面にありま”
“す : その場で変更を確認!”

[default.po]には[msgstr “”]だけで、翻訳(日本語訳、上の例で[“様々なレイアウト,…])がありません。
[default.po]の[msgid] に対応する部分を[ja.po]から探し出して、[ja.po]の[msgstr]部分を [default.po](実際には出力用に新たな別ファイル)の[msgstr]に、埋めていくことになります。

新たな[default.po]を自動で翻訳しきれなかった部分は、Poeditを使って翻訳していきます。

VB.NETでプログラミングしました。
多少使い勝手をよくして500行弱のプログラムです。

取り敢えずこれで良しとします。

WordPress プラグインの日本語化

最近私はホームページを作るときは、殆どWordpressを使っています。

WordPressそのものは日本語化されていて、
ブログ画面も裏方の管理画面も日本語を標準で使えるのですが、
デザインを担当するテーマや追加機能のプラグインは大半が英語です。

私は多少は英語でもいいのですが、
画面に英語がでるとそれだけで読む気がしなくなります。

WordPressはPHPで書かれていて、
ユーザに何かの文章を示す部分では、下のような仕組みを使っているようです。

$message = ‘<p class=”message”>’ . __(‘You have logged in successfully.’) . ‘</p>’; $message = ‘<p class=”message”>’ . __(‘You have logged in successfully.’) . ‘</p>’;

ここで重要なのは「__(」の部分です。

WordPressでは、ここの部分を各言語に置き換える仕組みがあります。
インターネットでは、日本語を使う宣言には、
「define (‘WPLANG’, ‘ja’);」という記述がある筈だと書いてありましたが、
私は確認できませんでした。
ともかくどこかに[ja](日本語)ファイルを使うという宣言があると思います。

さて、__(‘You have logged in successfully.’)に対応する、日本語を作成しなければいけません。
Poeditというソフトがあります。
確か数千円だったと思いますが、これが思いのほか有用です。

まず、日本語化したいテーマやプラグインのソースをダウンロードしておきます。

次にPoeditを起動して、このプラグインのフォルダーを指定すると、
翻訳対象部分をすべて抽出して、表を作って表示してくれます。
表の左欄に英語を、右に日本語を表示するようになっています。

翻訳したい言語を選択(日本語)して、「事前翻訳」ボタンをクリックすると、
左蘭の英語に対する日本語訳を右欄に表示してくれます。
ただし、不十分な翻訳ですから、原則すべての翻訳を確認するように求められます。

一行一行見ていきますが、このこき幾つかの翻訳候補が表示されますので、
そのどれかでよければ、その翻訳を選択しますし、
どれもダメなら自分で翻訳を入力します。

大きなテーマやプラグインだと数百行文章がありますが、
やるしかありません。

ともかくやり遂げましょう。

出来上がりは、[po]とそれをコンパイルした[mo]ファイルが作成されます。
できたら、自分のサイトの所定の場所に二つのファイルをアップします。
(他言語ファイルが沢山アップされています)

これでWordpressの管理画面を開いたときに、
このプラグインは日本語化されています。

やれやれ。

 

ところが話はこれで終わりません。

透明水彩と写真を始めました

歳をとり、他の仕事が忙しいと、仕事の合間を使って、要領よく読書し感想文を書くのは、結構エネルギーを必要とするものだ、とつくづく感じます。

このところ一番エネルギーを割いたのは、地域のトラブルですが、ここでいうのは憚れますので、触れないでおきます。

もう一つの仕事は、私がかかわっているNPOでホームページを立ち上げたことです。これも一応完成して、いまからは内容を充実していく作業になります。皆さんが身近なものとして使うようになるには、これからが肝心なのだと思います。

 

透明水彩をやってみようと、義母の看病で別居している妻に話したら、妻がさっそく水彩道具を送ってくれました。

小学校のころは、水彩画をよく描いていましたが、これは画法としては油絵みなたいなもので、白っぽい部分は後から白色を重ねて塗っていました。
しかし、透明水彩は全く逆で、一番白い部分が紙の地肌ですから、原則薄い部分から濃い部分に描いていきます。

数冊透明水彩の入門書をアマゾンで購入して、描いてみましたが、とても難しくて、3枚描いたところでストップしました。

これでは先に進みませんので、何とか気持ちを奮い起こして、難しいことは考えないで沢山描いてみて、ともかくある程度のレベルにまで達したいと思います。
「第一最初から上手に描けるはずがないのだから、気楽に描こう」と思わなければ、先に進みません。

 

もう一つ始めたものがあります。

写真です。
NPOで広報紙を編集するようになって、もうじき2年になります。
地域の広報紙に文章を長々と書いてみても、誰も読んでくれませんから、できるだけ写真を沢山入れています。

広報紙は結構好評で、写真もいいと言ってくれるのですが、実は私は写真の素人で、すべてバカチョンで写しているだけです。どのようにしたらもう少しいい写真がとれるのか分かりません。

地域に写真クラブがあって、顔を出したのですが、彼らはオタクで、写真への熱の入れ方が尋常ではありません。高級なカメラを使って、毎日のように写真を撮っています。私にはとても敷居か高く、クラブへの入会を辞めて、メンバーの一人に個人的に教わることにしました。

世の中には親切な人がいて、懇切丁寧に写真の基礎を教えてくれましたので、後は、写真雑誌を買って、自分で色々やってみることにしました。

基本の基本は、風景写真を撮るときボケを第一に考えるので、適当な絞りを決め、絞り優先で、シャッターを切る。カメラは無難な明るさの画像を作成してくれる筈なので、後は好みに応じて、少し暗くあるいは少し明るく絞り補正をして、数枚同じ画面を撮影する。

被写体が暗いと、シャッタースピードが遅くなり、手ぶれが起こるので、その場合は受光面のセンサー感度(ISO)を上げる。

夕陽では、暖色が強くなるから(色温度が低い)、それが嫌ならホワイトバランスを調整する。

これが写真の基本でしょう。

後は、雑誌やWEBでいい写真とその撮影データをみて、それを参考に自分でも色々写真を撮ってみる(幸いデジカメの撮影データはPCで見ることができます)。

一生懸命やっても、ある程度思い通りの写真が撮れるようになるまでに、半年程度かかりそうです。

般若経(はんにゃきょう)

紀元前1~2世頃、口伝だった経典が、文字化され始めます。

紀元前後から大乗仏教教派で般若経の編纂が始まり、長い年月をかけて大きな経典ができたようです。

昔祖母が毎朝唱えていた般若心経は、般若経のダイジェスト版で、実は7世紀に、例の西遊記・三蔵法師のモデル=玄奘三蔵がインドから持ち帰り、わずか262文字に漢訳したもので、名訳といわれ日本でも広く使われています。

最初に、般若心経の現代語訳をWikipediaから転記します(少し、手をいれています)。(ここをクリックするとYoutubeで念仏を聞くことができます。)

観音菩薩が、深遠なる智慧の完成のために瞑想していた時、五蘊(ごうん。私を構成するすべての要素、肉体も精神も感覚も)は消滅変化するもので、永遠不滅ではないと悟ったことで、あらゆる苦しみと厄災から逃れることができたのです。
舎利子(釈迦の高弟の名前)よ、色(肉体)は空虚であることと異ならない。空虚であることは色と異ならない。
色は空っぽである。空っぽであるのは色である。
受(感覚を感じる働き)、想(概念)、行(意志)、識(認識する働き)もまた同様である。
舎利子よ、すべての現象は「空虚」を特徴とするものであるから、生じることなく、滅することなく、汚れることなく、汚れがなくなることなく 増えることなく、減ることもない。
ゆえに「空虚」〔ということ〕の中には、
色は無く、受、想、行、識も無い。
眼、耳、鼻、舌、身、意も無く、
色、声、香、味、触、法も無い。
眼で見られた世界も無く、意識で想われた世界も無い。
無明(迷い)も無く、無明の滅尽も無い。
“老いと死”も無く、”老いと死”の滅尽も無い。
「これが苦しみである」という真理(苦諦)も無い。
「これが苦しみの集起である」という真理(集諦)も無い。
「これが苦しみの滅である」という真理(滅諦)も無い。
「これが苦しみの滅へ向かう道である」という真理(道諦)も無い。
知ることも無く、得ることも無い。
もともと得られるべきものは何も無いからである。
菩薩たちは、「智慧の波羅蜜」(深淵なる悟りの智慧)に依拠しているがゆえに、心にこだわりが無い。
こだわりが無いゆえに、恐れも無く、転倒した認識によって世界を見ることから遠く離れている。
過去、現在、未来(三世)の仏たちも「智慧の波羅蜜」に依拠するがゆえに
完全なる悟りを得るのだ。
それゆえ、この「智慧の波羅蜜」こそは
偉大なる呪文であり、偉大なる明智の呪文であり、超えるものなき呪文であり、並ぶものなき呪文であり、すべての苦しみを除く。
〔なぜなら〕真実であり、偽りなきものだからである。
「智慧の波羅蜜」という呪文を説こう。
“ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー”
(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に正しく往ける者よ、
菩提よ、ささげ物を受け取り給え)

私は、字面はわかりますが、心底般若心経の神髄が分かったとはいえません。
(「空」を「空虚」と訳していますが、不十分なのではないでしょうか。)

以下、前々回紹介した佐々木閑「大乗仏教」に沿って、般若心経を解説します(当然私が理解した限りです)。

般若経では、「すべてが無い。意志や自分もない。感覚さえない。全ては変わるというが、それさえ無い」といいます。

しかし、そこまで否定すれば、どうなるのか。
般若経では、「この世はそうした理屈を超えた、もっと別の超越的な法則によって動いている」と考えました。
この人智を超えた神秘の力、超越的な法則こそが般若経でいうだということです。(これが宗教ということでしょうか。信じるか信じないかは人それぞれということですか。)

ただ何のためにここまで否定したか、著者は次のように説明しています。
釈迦が唱えた業の因果即を基本にする限り、人は生前の業により永遠に輪廻転生を繰り返すしかない。そこから逃れるには、特別な修行者になり悟りを開かなければいけない。

輪廻を生み出すこのを否定しなければ、凡夫を救う方法がないのです。
般若経はこの業を否定し、布施、加持、忍辱(にんにく)、精進、禅譲、智慧を、智慧の波羅蜜・六波羅蜜と呼び、これを大切な修行としたのです。

これなら、凡夫にも実行できます。

更に、般若経は「お経そのもがブッダだ」として、般若経を讃えること、唱えること、書くこと(写経)が修行の一部だと考えます。

怪談「耳なし芳一」の物語で、琵琶法師の体に書いたのが、般若心経だったが、書き洩らした耳は、お経の力が及ばなくて、悪霊に削がれたのです。

般若経の最後の部分、“ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー”は、呪文なのです。

釈迦の仏教が、煩悩から逃れるため、非生産的生活の中で瞑想し修行する修行者のための教であったのに対して、大乗仏教は、呪文(般若心経)を讃え、唱え、書き写し、広く伝える。そして、日常の善行をするこそが修行なのだとして、凡夫の救済の教えに変わったのです。

これが大乗仏教の神髄なのでしょう。

初期仏教から大乗仏教へ

釈迦の死後すぐに、弟子たちは集まって釈迦の教えの編集会議を開きました。

このとき集まった500人の高弟は、阿羅漢(あらかん 聖者)と言われ、日本の大寺院の境内に並んだ石仏「五百羅漢」が彼らのことのようです。

さて、膨大な教えは、経、律、論に分けて整理されたのですが(これを三蔵といいます)、当時文字は商用および公用でしたし、文字化することで釈迦の精神が失われると考えた弟子たちは教えを文字化せず、すべて記憶をたどり議論したということで、これまた驚きです。

経は、釈尊の教えを纏めたもの
律は、修行者の守るべき戒律
論は、経や律の注釈

この仏教徒の会議は結集(けつじゅう)といわれ、紀元前だけで、およそ100年毎に1回、計4回開かれています。

最初の結集から約100年後の2回目の結集では、議論が大きく分かれ、教団は2分されました。これを根本分裂といいます。

原因は戒律を実情に合わせて緩くしようと主張した学派と、あくまで厳しくするべきだとする学派の対立があったのです。

前者は多人数だったので大衆部(だいしゅぶ)と呼ばれ、一方の戒律の除外例を認めない厳格なグループは、少人数で長老上座が多かったので上座部と名づけられました。(上座部のことを卑下して、一時小乗仏教といったようですが、今はこの言葉は使わないということです)

この根本分裂以降も分裂が続き、約20の学派に分かれていきます。分裂以前の仏教を初期仏教、分裂後のそれを部派仏教といいます。紀元前2世紀頃、上座部から説一切有部(せついっさいうぶ)が独立し、一時勢力を伸ばします。

Wikipedaiによると、説一切有部のメインの主張は次のようなものですが、
私には、今一つよくわかりませんが…

説一切有部の基本的立場は(中略)
森羅万象を構成する恒常不滅の基本要素として70ほどの有法、法体を想定し、これらの有法は過去・未来・現在の三世にわたって変化することなく実在し続けるが、我々がそれらを経験・認識できるのは現在の一瞬間である、という。
未来世の法が現在にあらわれて、一瞬間我々に認識され、すぐに過去に去っていくという。
このように我々は映画のフィルムのコマを見るように、瞬間ごとに異なった法を経験しているのだと、諸行無常を説明する。

ここで、法とは、法則・真理、教法・説法、存在、具体的な存在を構成する要素的存在などのこと。

この考えは、紀元前後に興った大乗仏教で批判されるのですが、当時の議論の中心は神秘的な宗教というより、むしろ西洋哲学の形而上学(存在論や観念論)そのもののように私には思えます。

 

さて、大乗仏教の話に移りましょう。
上座部仏教が修行者の修行・悟りを重視するのに対して、大乗仏教は、凡人を救う方向に向かいます。その起源はよくわからないようですが、紀元前後に、部派仏教・大衆部から大乗仏教の考え方がでてきたといわれています。

仏教では、修行者がブッダになるためには、誓願・授記という必須の儀式を経験しなければいけません。修行者はブッダに会って「私もあなたのようになるよう努力します」と誓い(誓願)をたて、ブッダが逆に「お前は将来必ず、ブッダになるだろう。がんばりなさい」という保証(授記)をしてもらわなければいけないのです。

ブッダから授記を受けた修行者を菩薩といいますが、菩薩は更に修行を続け、悟りを開いたとき初めてブッダになるのです。

初期仏教では、釈迦ただ一人がこの儀式をクリアし、修行の末ブッダになったと考えました。

ところで、ブッダは何億年に一人しか出現しないと考えていたのですから、「それなら釈迦自身、いつブッダに会って授記を受けたの?」という疑問が起こります。

彼らが用意した答えは次のようなものです。

「実は釈迦も過去に長い長い輪廻の世界を過ごし、昔々のある時ブッダに会って、そのブッダから「お前はブッダになれる」と授記され菩薩になった。菩薩になってからも、また長い間修行しこの世に生まれて、やっとブッダになったのだ、この世での生活はほんの氷山の一角だったのだ」というのです。

「なるほど!」
「それは分かった。
でも、私達が仏教に帰依しても、何億年に一人しか現れないブッダに何時会うことができるの?」という悲観的な考えが出てきます。

ここで大乗仏教が「発明した」理論は、釈迦の話を拡大して、「善行を続ける人は、実は前々前世に既にブッダに会っていて、そのとき『あなたのようなブッダになるよう努力します』と誓いをたて、ブッダは『がんばれよ』と授記してくれているのだ」というものです。

この大発明で、凡人も救われる論理武装ができました。