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建築士更新講習終了

昨日建築士定期講習および終了考査を受けました。
この間ブログの更新をストップして大変失礼しました。

ブログを書く時間がなかった訳ではないのですが、
受験勉強に集中するために、ブログにノータッチできました。

さて、今回講座で使ったテキストは、友人から借りたものと同じで、
予め数回読み返していたので大変助かりました。

講習の講師は二人で、法規関連部分は県の役人が、実務に近い部分は建築事務所のベテラン建築家が説明しました。

役人は延々とテキストの下線部分を読み上げるだけで、
どこが注意点とかまったく説明がなく最悪でした。
実務部分はさすが実務家らしく、ポイントを押さえて説明してくれました。

試験用紙は全員異なるといっていましたが、多分問題は同じで、問題の配列が異なるのでしょう。

一級建築士は40問、二級建築士は35問、木造建築士は30問、試験時間は全員1時間です。

木造建築士なるものがあることは今回始めて知りました。
大工さんが採るのでしょうか。

結果発表には1ヶ月程度かかるようです。
多分大丈夫と思いますが、どうでしょうか。

私は建築士免許を実務で使ったことがなかったので、
大切にしまいこんで結局どこにやったか分からなくなりました(実は2回目です)。この際再発行を申請し、昨日免許証明書なるものを受け取りました。
これは免許証ではなく、免許証と同等の資格証明書の位置づけです。
運転免許証と同じくICチップ入りのカードです。
今度は失くすことはないでしょう。

現時点で一級建築士の登録人数は35万強です。
私の免許証番号は5万番台ですので、古顔の部類です。
この年齢で、現役の建築家は少ないのでしょう。
今回の受講者では、私が最年長だったかもしれません。

これまで、一級建築士でありながら、自分で設計した建物がありません。
一度でもいいので設計したいと思います。
勿論、友人の建築家の助けを借りなければいけませんが。

一級建築士の定期講習

大分前のこのブログでも書きましたが、
私はもともと建築家で、およそ50年前に一級建築士の免許をとりました。
その後、建築家をやめて、コンピュータの世界にはいりましたので、
それからの私の人生では、建築家らしい仕事を殆どしてきませんでした。

数年前、建築構造の偽装問題が発生して、
「構造計算の専門家は、定期的に試験を受けなくてはいけない」と理解していたのですが、いわゆる「建築家」は関係ないと思っていました。

ところが先日知人と話をしていたら、
建築士は3年毎に講習を受けて試験に合格しなければ、
建築士の看板を出して仕事をしてはいけないということです。
(建築士の免許が無効になるわけではないようです)

将来、私が建築家の看板を出すこともないと思いますが、
折角とった国家資格が価値を失うのも寂しいので、大急ぎで受験することにしました。今年度の講習は、東京はすでに満杯で、かろうじて千葉県の講習が空いていたので申し込みました。

 

何年振りの試験でしょうか。
私は実務経験が乏しいので、試験に一発で合格できるかどうか、全く自信がありません。

友人の建築家に講習のテキストを送ってもらいました。
A4版2冊、全450ページ程度です。
少し読んでみましたが、私にとっては結構難しい勉強かもしれません。

なんとか、一発合格したいと思っています。

加瀬英明他「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」

先日、昔[電気労連]かどこか全国組織の労働組合の役員をしていたという男性と議論しました。
彼は「中国が好きだ」といっていたから、
どれだけの確固たる論拠をもっているのか確認したかったのです。

彼は、日本は韓国・中国に酷いことをしたと次のようなことを言います。
「日本軍は慰安婦をおいていた」。
「日本は朝鮮人を強制連行した」。
「重慶を何度も爆撃した」。

私は、「戦争になればどこの国も酷いことをしている。中国も韓国も同じだ」。
「慰安婦をおいていたのは日本だけではない。朝鮮戦争での韓国軍、米軍も同様だ。
それをいいとは言わないが、なぜ、日本だけ非難するのか」。
「強制連行はゼロではないが、証拠があがっているのは数件である」。
「重慶の爆撃はよくないが、ではなぜ米軍による東京空襲を非難しないのか」
のような反論をしました。

彼は、興奮してまったく関係のないことをいったり、誰かの主張を鸚鵡返ししたりします。

議論していて一番の問題は、
「彼の主張には根拠がない」あるいは「根拠を明確に説明できない」ことです。

日本の知識人の典型的な思考能力だと思います。

私は、彼が一般人であれば、あまり非難しませんが、
生涯に亘って政治的に動いてきた人間が、
根拠もなく自国を非難することの罪は許しがたいと思います。

特に今は、韓国や中国が日本を貶めようとプロパガンダを張っています。
それに、米国やヨーロッパが易々と同調しています。

この状況で知識人と自称する日本人が、まともな根拠も提示できないで、
「日本悪者論」を展開することは、まったく「能天気」で放置できないことだと思います。

 

加瀬英明、H.S.ストークス[なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか](2012年、祥伝社)を読みました。

私は衝撃を受けました。
「多分」と思っていたことに、「やっぱりな」という感想を持ちました。

この本は、日米開戦にいたる、特にF.ルーズベルト大統領の動きをかなり細かく追っています。

私は、国際政治を考えるとき、
外国人が日本人と同じ倫理観をもっていると考えてはいけない。
全く違う人種であり、多くの場合悪意に満ちていることを肝に銘じるべきだと思っています。

大航海以降の白人は、「キリスト教こそ真理であり白人のみが選ばれた民である。
他の有色人種は動物にも匹敵する下等な人種だ」と考えていました。

この基本的価値観の下、
大戦前の東南アジアの国々はことごとく、イギリス、フランス、オランダ、アメリカの植民地にされ、
かろうじて植民地を免れていたのは、イギリスとフランスの緩衝地帯としてのタイと、
いち早く近代化した日本だけでした。

時のアメリカ大統領・F.ルーズベルトの両親は、共にオランダ系の裕福な家系の出でした。

母方の家系は中国へのアヘン貿易で財をなし、
香港に屋敷を構えて、中国から略奪した沢山の美術品を所有していましたし、
大統領自身中国に特別の関心を持っていました。
日露戦争終結の仲介役をした、セオドア・ルーズベルトとは縁戚関係にあります。

S.ルーズベルトは日露戦争までは、日本に肩入れしていましたが、
いったん日露戦争で日本が勝利すると、態度を一変させます。

満州はロシアに代わって、日本が経営することになったからです。

当時既にイギリス、フランス、ドイツ、ロシアは中国を分割統治していて、
遅れをとったアメリカは満州への侵攻を目論んでいたのです。

 

1939年ドイツがポーランドに侵攻したことに対して、イギリスがドイツに宣戦を布告し、
第二次世界大戦が勃発します。

当時アメリカは、第一次世界大戦を教訓に、
「自国が直接攻撃されない限り戦わない」という法律をつくっていましたので、
この戦争に直接加担することは出来ませんでした。

対独戦に苦戦していたイギリスのチャーチルは、なんとかアメリカに協力してもらおうとしますが、
ルーズベルトは国内法のしばりのために、動くことができません。

ただし実際には秘密裏に、蒋介石中国に武器輸出等をしながら、
参戦の大義名分を探っていました。

その大義名分とは、日本にアメリカを攻撃させるというものです。

ルーズベルトは、日本に対する鉄、それに続いて石油の輸出の禁止を決定し、日本を追い詰めます。

日本は何とかこれらの禁輸を解こうとアメリカと何度も交渉しますが、
ルーズベルトは日本を戦争に引き込もうとしているので、
交渉がまとまる筈がありません。

交渉の最中アメリカは、日本の暗号電文をすべて解読し、
完全に日本を手玉にとっていました。

日本はドイツの快進撃に呼応し、ドイツと同盟を結びます。
ドイツがアメリカに圧力をかけることを期待したのです。
(ドイツは日本と防共協定締結時も、蒋介石を支援していました)

ロシアもまたアメリカの参戦を望んでいました。
ドイツ軍がモスクワの近くまで攻め入っていましたので、
極東の地を脅かす日本をアメリカに叩いてほしかったのです。

アメリカ・ルーズベルトは何とか日本を戦争に巻き込みたかったので、
じりじりと日本を追い込みます。

日本の懸命な交渉にも係わらず、アメリカから出されたのは、
日本が到底受け入れることのできない、ハル・ノードでした。

日本はそれを最後忠告と受け止め、真珠湾攻撃を仕掛けます。

ルーズベルト、チャーチル、スターリンの思う壷でした。

 

私はこの話は可なりの信憑性があると思います。
ただし、私は今すぐこの話に飛びつきません。
この本の致命的欠陥は、参照資料が明記されていないことです。

この話を信じるかどうかは、もっと勉強して納得してからにします。

なお、この本には戦後のマッカーサーが施行した日本統治の国際法からみた違反性や、
日本の戦争が、結果としてもたらした、アジアの解放についても書いています。

他に、S.ストークスが[ペリー襲来から真珠湾への道]と題する文章を書いてい[ますが、
前回ご紹介しました[連合国戦勝史観の虚妄]と重複部分が多数です。

ヘンリー・S・ストークス「連合国戦勝史観の虚妄」

ヘンリー・S・ストークス[連合国戦勝史観の虚妄](2013、祥伝社新書)を読みました。

著者は、1938年英国生まれ。
61年オックスフォード大学修士課程終了後、ジャーナリストとして日本に赴任。
[ファイナンシャル・タイム][ニュウーヨーク・タイムス]紙の東京支局長を務めています。
三島由紀夫と最も親しかった外国人記者だそうです。

夫人は日本人、子息はタレントのようです。

滞日50年、賭け値なしの知日であり親日です。

内容は、完全な日本びいき、全ページ日本礼賛です。
彼はクエーカー教徒で、クエーカー教徒はキリスト教の中では迫害されているそうで、
クエーカー教徒にたいする理不尽な迫害を、ユダヤ人や日本人に重ねて見ているようです。

三島由紀夫と親しかったので、三島の記述が多いです。

三島が自衛隊市谷で、自衛隊員に向かって演説し、
割腹自殺したことをかなり詳しく書いていますが、
当時、私は建築の大学院の学生で、そのときの興奮した雰囲気を鮮明に覚えています。

その他、日本全般については、次のような章立てです。

第2章 日本だけが戦争犯罪国家なのか?
第4章 橋下市長の記者会見と慰安婦問題
第5章 蒋介石、毛沢東も否定した「南京大虐殺」
第7章 日本はアジアの光

第二次大戦が始まった当時、有色人種に対する人種差別は歴然で、
西欧による日本下ろしの機運が強くありました。

チャーチルの個人書簡では、同じイギリス人として、
聞くに堪えない数々の悪口が書かれているといいます。

「日本が東南アジアの諸国を侵略したのではない。
500年の亘る西欧の植民地支配を解放したのだ」というのが著者の主張です。

西欧はアジア・アフリカの国々を食い物にし、
被支配者に高等教育を受けさせることはなかったが、
日本はこれらの国を解放し教育した。

アジアの国々は、西欧の圧倒的な力の前に西欧からの独立を想像することもできなかったが、
マレーシアやシンガポールでの日本軍は衝撃的に強く、
瞬く間に英軍を追いやったことは、アジアの人々に強烈な勇気を与えた。

逆に、敗れた西欧は体面をつくろうためにも、
日本が野蛮で残忍だという、プロパガンダを展開しているが、
実際は、日本軍は規律正しく、西欧の主張は正当でない。

戦勝国が敗戦国を裁く東京裁判にも疑問をもちます。
彼が少年のとき読んだ[a Bar of Shadow]([影の獄にて](1982、思想社))に感銘を受け、
日本人を残虐として批判するのは公平ではないと思ったそうです。

この本は映画[戦状のメリークリスマス]の元本だそうです。
私は、この本もこの映画もみていません。
機会があったら本を読んでみたいと思います。

東京裁判の不当性を主張します。
「あの戦争で裁かれるべきは、戦勝国側だった」と。

この本では殆ど一次資料がありませんが、
南京大虐殺では、色々資料を示して、「南京大虐殺はなかった」といっています。

7章には、2012年著者が「日印国交60周年の集い」で講演した、内容が紹介されています。
この会合には、
日印の代表者のほかチベット、ウイグル、南モンゴル、台湾、北朝鮮の代表者も集まりました。

主旨は次のようなものです。

20世紀でもっとも驚く展開は、500年続いた植民地支配の呪いが終焉を迎えたことである。
それは第二次大戦で日本が、白人の植民地支配に痛烈は打撃を与えたからである。

19世紀後半日本は明治維新を成し遂げたとき、インドはイギリスに征服された。

インドの独立を戦い、後[偉大な指導者]と呼ばれたボースは、1943年来日し講演した。

自分が小学生だったころ、日本は日露戦争に勝利し、
インドでは多くの親達が、東郷元帥や乃木大将の写真を買ったり、
日本の製品を買って家に飾った。

日本はアジアの光だった。
このたび日本はイギリスに宣戦布告した、
これはインドにとって独立のための千載一遇のチャンスであり、日本に感謝している。

として、日本とともに自由インド仮政府(首班ボース)はイギリス、アメリカに宣戦布告する。

第一次世界大戦後のパリ講和会議で、国際連盟の設立にあたって、
有色人種ただ一人の日本は人種差別撤廃の提案をした。
11対5の多数の賛成を得たにもかかわらず、
アメリカ大統領ウィルソンは「全会一致」が必要と却下した。

インドネシアは350年間にわたり、オランダに侵略されていたが、
1942年日本のインドネシア進行により解放された。

「アジアの国々を侵略したのは西欧諸国であり、
日本は植民地を解放したのだ」というのが、著者の一貫した主張です。

 

自虐史観で育ってきた私(日本人)からすれば、
「そこまで同意していいものか」と躊躇します。

ともかく、この主張は戦前の日本の行動を最も善意に解釈したものだと思います。
これを全面的に受け入れていいものかどうか、
様々な視点からの検証が必要です。
可能か限り一次資料で勉強して、自分なりの考えをもちたいと思います。

既に数冊の本を買いました。

加瀬英明、ヘンリー・ストークス[なぜアメリカは対日戦争をしかけたか]ジェフリー・レコード[アメリカはいかにして日本を追い詰めたか]西尾幹二[国民の歴史]渡辺惣樹[日米衝突の根源]渡辺惣樹[日米衝突の萌芽]ピーター・ドウス[帝国という幻想]秦郁彦[慰安婦と戦場の性]他

ペマ・ギャルポ「中国が隠し続けるチベットの真実」

2冊の新書本を読みました。
一つはクロード・B・ルヴァンソン[チベット](2009年、白水社)、もう一つはペマ・ギャルポ[中国が隠し続けるチベットの真実](2008年、扶桑社)です。

最初にルヴァンソンを読みましたが、「簡単な話を、なんでこんなに難しく書くのだろう」と腹立たしく思います。このような深刻な問題をかくも文学的に書く必要があるのだろうか。

例えば、次のような文章。

「チベット性」の一つの側面は、特殊な地理的現実に根ざした、外界に対する仏教的アプローチへの愛着としてとりあえず定義されるが、こうした観点に立てば、まずその特殊性の土台を形成するものを保全する緊急性が容易に理解できる。

(もしかしたら、翻訳が悪いのかもしれませんが、恐らく原文が酷いのでしょう)

内容はこれまで私が勉強したこと以上のことは余りありません。

すなわち、中国との関係における、簡単なチベットの歴史。地下資源が豊富なチベットが中国にとっていかに魅力的かの話。メコン川、長江等の水源地であり、水がめとしてのチベットの価値。中国の侵略のいきさつ、世界の反応等。

チベット問題の「概説」としてまとまっていますが、逆に2009年の出版にもかかわらず、文化革命や2008年騒乱については具体的な記述はあまりありません。

 

ペマ・ギャルポは、関口宏司会のTBSサンデーモーニングに、昔半レギュラーで出ていましたが、何故か「司会者の対応が冷淡だな」と思っていましたら、やがて放送に出なくなりました。なにかあったのでしょうか。噂では、中国の圧力があったということですが、真実は知りません。

[中国が隠し続けるチベットの真実]で自分の出自を書いています。

彼の曽祖父は東チベット・カムのニャロン地方の領主だったそうです。ニャロンは九州くらいの広さでしたが、最盛期には日本の広さほどの領土を支配していたということです。

ダライ・ラマ14世がチベットを脱出した2年後、後を追うように家族と一緒にインドに亡命しています。年齢は分かりませんが、まだ少年だったのでしょう。

その後何時日本に亡命し、チベットとどのようにかかわったか、詳しくは分かりませんが、時には亡命チベット政府の一員として、中国との交渉に関与したようです。

彼は、亡命以降に起こったチベット騒乱に立ち会っていませんので、インタビューや他の文献からの引用でこの本を書いています。内容的には分かりやすくまとまっています。

2008年6月の出版で、同年3月のチベット騒乱の話から始まります。チベット騒乱は北京オリンピックを前にして、中国に対するチベット人の不満が爆発したものですが、中国の聖火ランナーのルートにチベットの聖地、チョゴランマの山頂を通したことや、オリンピックのマスコットとしてチベット領のパンダやチベットカモシカを使ったことも、チベット人にとっては自分達の尊厳・アイデンティティを侵害されたと映ったようです。

パンダは四川省に生息していることは知っていましたが、チベット領だということは気づきませんでした。

この本は薄い割に良く書けていると思います。
中国によるチベット侵攻の初期の動きは、この本では次のように書いています。

チベットが独自にイギリスに接近することを恐れた清は、1910年にチベットに侵攻してきました。ところが、その直後に辛亥革命が起こって、1912年には清が滅亡してしまう。それまで清の支配下にあったチベットとモンゴルは、お互いに独立を宣言して双方の独立を認め合う「蒙蔵条約」を結びます。

1914年イギリスは中国の宗主権は認めながらも、チベットの独立を承認するシムラ条約を作成し、チベットとイギリスは調印しますが、最後の段階で、中国が署名しないままで終わっています。

当時はダライ・ラマ13世の治世です。河口慧海はダライ・ラマ13世に謁見し、鋭い政治センスの持ち主と高く評価していますが、彼は後に大ラマといわれています。

1950年に始まった中国のチベット侵攻、それに伴う残虐な行為を面々とつづっていますが、ここでは触れません。ただチベット亡命政府が発表したチベットの人的被害を挙げておきます。

戦いや蜂起によるもの 43万2705人
餓死 34万2970人
獄死、強制収用所での死 17万3221人
処刑 15万6758人
拷問による死 9万2731人
自殺 9002人
合計 120万7387人

1959年ダライ・ラマ14世はインドに亡命し、インド北部のダラムサラに亡命政府を作ります。当初はチベットの独立を目指しますが、後に彼は現実路線を模索し、自治権のみの要求をします。がそれも実現しません。

年を経る毎に、中国にとってチベットは重要になります。
2006年ラサとチベット東北部西寧市を結ぶ青蔵鉄道が完成します。
この鉄道は軍事的に重要な補給線になりますし、沿線には石油他の天然資源が眠っているということです。

チベットを離れた多くの人は、民族独立は当然の権利と認識しますが、これといった方策もありません。

ダライ・ラマも高齢で、死去した後の求心力の低下にも、不安があります。

ガンジーやキング牧師のように、武力によらない粘り強い、働きかけと国際世論の注目・支援を期待しています。

なお、この本には、1951年中国がドサクサにまぎれて、チベットに押し付けた「17か条条約」。1988年亡命ダライ・ラマが提案した「5項目和平プラン」。一年後に提案した「新和平案」が転載されています。