日別アーカイブ: 2014年1月5日

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「中国はいかにチベットを侵略したか」2

その後、毛沢東はチベッに様々な懐柔策を実施し、
道路、商業、通信手段等を整備する一方、
次々に軍隊を送り込みます。

中共軍が増えるにつれて、チベットの人々との軋轢が生じ、
小さな火種はだんだん大きな火に勢いを増します。

1956年正月、ラサで大きなデモが発生し、
それに対し中共軍は厳しく、しかも残酷に対処します。

ゴンボ・タシ(抵抗運動の指導者)の言葉に従えば、

1956年は、中共の約束が耳をかす値打ちもない大嘘だったことがはっきりしたという点で、
チベット人にとって忘れられない年だった。

民主的改革? 土地改革? 援助? 進歩? 
それらはすべて暴力、脅迫、飢餓、死に言い換えてみればずっとわかりやすい。

それが中共の共産主義への道だった。(中略)

これが毛沢東のいう「大家族の一員としてチベットを抱擁する」という意味であった。

 

「カム・アムド・ゴロク、どこの村でも中共の虐殺を経験しており、
抵抗の狼煙を最初に上げたのはじぶんたちの村だったというだろう。

誰も間違っていなかった。
ほんの数週間のうちに東チベットの抵抗勢力は吹き荒れる嵐となって広がったのだ。

中共側も負けてはいない。妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。
特に尊敬されている僧たちは狙い撃ちされ、尼僧と性交を強いられたりもした。

ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交をしいられていた。
あくまでも拒否した層のあるものは腕を叩き切られ、
「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。

大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、
馬や車で引きずり殺されていった」。

 

この本にはまだまだ沢山の、中共軍による残虐行為が書かれていますが、
止めておきます。

ダライ・ラマはインドの支援を求めてネールに会いに行きますが、
案の定、ネールは冷たい対応をします。

国連にもチベットの惨状を訴えますが、まともに扱ってくれません。

チベットと中共との兵力の差は歴然としていますから、戦争にはなりません。
基本的にゲリラ戦です。

CIAはアイゼンハウアーの指示で、チベット人を訓練し、武器支援します。
東パキスタン(現バングラディシュ)を介して、有能なチベット人を連れ出し、
グアム、サイパン、沖縄でゲリラ戦士としての訓練をし、
再度チベットに送り込みます。

1958年初めには、中共は東チベットだけで15万人の兵力を展開していました。

チベット人のゲリラ戦も激しくなり、全面的な戦闘状態になります。
しかしもともとチベットには沢山の部族があって、
これまで協力して国のために何かをしたという経験がありませんでしたし、
連絡を取り合う通信手段を持たなかったので、
それぞれが「チベットを守る」という気持ちでそれぞれの方法で戦っていました。
武器も手持ちの猟銃であったり、刀であったり、斧であったり、貧弱なものでした。

それに対して中共軍は、高性能機銃や爆撃機で村々を壊滅していきます。

大商人であったコンボ・タシは法王庁に承認を得ないまま、独断で部族をまとめる決断をします。

 

1959年3月、中共軍はダライ・ラマを中共軍司令部に呼び出そうとします。
それを受けて3月10日、首都ラサで大規模なデモが発生。
民衆は各所にバリケードを築き、ありあわせの武器で対峙します。

緊迫の日が続いたのち、3月17日中共は最後通告します。

侍従長以下の説得を受け入れ、ダライ・ラマはラサからの脱出を決心、
夜陰に乗じて宮殿を後にします。
CIAの圧力があって、インドはダライ・ラマを受け入れます。
14世ダライ・ラマ23歳でした。

中共軍はダライ・ラマの動向をつかめないまま、20日には法王庁宮殿への攻撃を開始します。

一連の攻撃で、チベットの7千の僧院の90%以上が破壊され、
一説では犠牲者は120万人(1950~1976年、Wikipedia)にのぼるということです。

アメリカのチベットに対する対応も揺れ動きます。
1960年アメリカのU2スパイ機がヒマラヤ上空からソ連を偵察中に撃墜され、
米ソの冷戦が深刻な状態になったため、
大統領はCIAによる上空からのチベット支援を禁止しました。

アイゼンハウアーの次の大統領ケネディもチベット支援策を続けますが、
インド大使ガルブレイスがチベットを嫌い、支援は思うようにいきません。

続く、ニクソンは中国との接近政策を打ち出し、ついにはチベットを見殺しにします。

ネパールも中国との関係を重視し、チベット難民を冷遇します。

1962年、中国がカシミールに侵攻すると、さすがのネールも目をさまし、
チベット亡命政府の設置を認めます。

 

その後も中国はチベットに圧力をかけ続け、
1996年の文化革命、2008年のチベット騒乱でも、チベットを武力で鎮圧。
沢山の僧院、宝物が破壊されます。

 

中国は何かといえば戦前の日本軍の悪行を非難します。
(実際はどうであったのか、私はまだ勉強できていませんので、
この問題は当面判断停止します。)

しかし、チベット問題は現在進行形です。
中国によるチベット支配は、どう考えても正当化されません。
中国が日本を非難する前に、現在の自身の行動が問われなければいけません。
日本批判は自分の悪行を隠す、あるいは目をそらす有効な手段として使っているのでしょう。

中国は日本批判で首相の靖国参拝を非難します。
しかし、どの口で「毛沢東崇拝」を謳うのか、開いた口がふさがりません。

中国は「チベットは内政問題だ」といいます。
「内政問題だ」と言われれば、国は動きにくいかもしれないが、
私たち一市民はいくらでも声を上げられす。

多くの人が関心を持って、
インターネット等をフルに使って中国の非を発信しなければいけません。