年別アーカイブ: 2013年

63件の投稿

「シュリーマン旅行記 清国・日本」 2

シュリーマンは日本に来ることをとてもとても楽しみにしています。

当時のヨーロッパ人にはある種憧れの国だったようです。オランダ商船やシーボルトの影響だったのでしょうか。

上海から九州の南の諸島を迂回して九州の東沿岸を北上し、江戸に向かう航海は日本への憧れが募るばかりです。

富士山を見ながら横浜に投錨します。

中国では船が投錨すると、周りを無数の汚いジャンクが取り囲みますが、横浜ではただ一艘の小舟が寄ってきました。

下帯一本刺青もんもんの船頭二人です。波止場まで運んでもらって賃料を聞くと、「四天保銭」。
これにも驚きます。中国では四倍は吹っかけられたからです。

そこから税関に行きますが、人夫はどれもこれも皮膚病を患っており不気味です。税関では役人が「荷物を全部開けろ」といいいます。
大変なので袖の下を渡そうとすると、役人は「日本男児!」と胸をたたいて拒みます。そして、荷物の検査はほどほどにして通してくれます。

横浜で宿泊します。
これから貪欲に横浜や江戸を見て回り、感想をかいていますが、感想はとても好意的です。中国があまりに酷かったからかもしれません。

横浜の町を見学にでかけた。1859年には小さな漁村だった横浜も、いまや人口1万4千人を数える。道路はすべて砕石で舗装されていて、幅10~20メートル、青みがかった煉瓦の木造二階建ての家が道にそって並んでいる。

道端の家々をきょろきょろ見て回ったのでしょう。

どの家も花で飾り、こぎれいな印象を持ちます。「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない」といっています。
にもかかわらずどの国よりも皮膚病がおおい。その原因は米食と生魚が原因だと主張しています。

他の来日した蘭学者は確か、風呂水がきたなくて、ここで感染しているといっていました。こちらの方が信憑性があります。

家の中に家具がないことが不思議だったようです。そのことを何度も書いています。

家具がないのも、「嫁入りに費用が掛からなくていい」と好意的です。質素な生活様式もそれを一つの文化として、「それもあり」とうけとめます。

公衆浴場には一種感動です。
男女混浴で老若男女、なんの恥じらいもなく、仲良く入浴している。「なんと清らかな素朴さだろう!」と、とても面喰ったのでしょう。

シュリーマンは吉原には行っていないと思いますが、遊郭について興味をもって書いています。日本人の性に関する、開放的な考えに不思議な、でも肯定的な感想をかきます。(余りに肯定しすぎるのではないかと私は思います)

八王子に生糸の生産現場を見に行きます。彼らにとってどれほど珍しかったか分かりません。

江戸になかなか入ることができません。前回にも書きましたが、攘夷論者が外国人の命を狙っていたので、その安全のために許可がでなかったようです。アメリカ合衆国公使館から招待状をもらって、やっと江戸に行くことができました。

5人の役人の護衛に守られた、梅雨の雨の中、馬で江戸に向かいます。9時前に出発して、江戸には1時ころ入ります。
途中ずっと日本の家々や人々を観察しています。

アメリカ公使館は善福寺というお寺をかりていて、ここでも常時200~300人の役人が警護しています。

愛宕山に上って、江戸の町を観察します。

後日江戸の町を護衛付で見学し、様々な感想を述べています。商店がたくさんあるとか、日本人は絵が好きだとか。

芝居見物もします。

これらの行動は常に日本人役人の護衛付です。外出先から、公使館に帰るときは毎日違った合言葉を確認します。間違うと一刀両断されます。

ともかく貪欲に日本を観察し、コメントしています。西欧とは全く異なる文明・価値観、特に性に対する考え方の相違には、驚きながらも、「それは一つの文化だ」と肯定的に書いています。

「シュリーマン旅行記 清国・日本」

ハインリヒ・シュリーマン著[シュリーマン旅行記 清国・日本](廣済堂 1998年)を読みました。

シュリーマンといえば、トロイアの発掘で有名です。
彼は1822年ドイツに生まれ、家が貧しかったので、高等教育を受けられず、職を転々としますが、商売に成功して、幼いころの夢であった発掘調査を開始し、歴史的な発掘を成し遂げます。

私も彼の生き様にはある種憧憬の念を抱いていましたが、Wikipediaでは美談ばかりではなく、多少批判的に書いています。

1863年、事業をたたんで世界漫遊の旅にでます。トロイアの発掘はそれから数年後のことです。インドから海路、香港、上海、北京、万里の長城へ行き、1865年幕末の日本にきています。

日本では横浜、八王子、江戸への旅をしますが、幕末、日本は開国するかどうかで大きく揺れていた時代です。
開国反対の攘夷論者が外国人の命を狙って事件をおこします。
それでも好奇心の旺盛なシュリーマンは、江戸に唯一開かれていたアメリカ公司を頼って貪欲に日本の旅をしています。

 

さて、シュリーマンは万里の長城を見るため、上海、天津から北京に入り、長城に向かいますが、その途中で見るもの聞くものを書きとめています。

天津の近くにはフランスとイギリスの要塞があります。

天津はとても汚い町で、汚さでは世界の筆頭に挙げられると書いています。
さらに北京に入りますが、北京を囲む堂々たる城壁に比べ、北京もまた世界でもっとも不潔な街だといいます。

北京で見たものは…
汚い町の汚い人々。首枷をつけられ自由の利かない罪人。刑場でさらされた首。纏足を施された女性。壮大な建物も手入れが悪く、朽ち果てるままです。

どこに行っても、陽光を遮り、呼吸を苦しくさせるひどい埃に襲われ、まったくの裸か惨めなぼろをまとっただけの乞食につきまとわれる。どの乞食もハンセン病を患っているか、胸の悪くなるような傷に覆われている。彼らは痩せこけた手を天に上げながら、跪いて額を地にこすりつけ、大声で施物をねだる。

異様な光景はこのくらいにしておきます。

長城に向けて旅立ちます。途中一泊して長城は一人での挑戦です。

ふもとの町で、旅の目的を聞かれて、「長城をみることだ」とこたえたら、「石をみるために長く辛い旅をするなんてなんと馬鹿な男だろう」と笑われます。

シュリーマンは、「どうしてもしなければいけない仕事以外、疲れることはいっさいしないというのがシナ人気質である」と感想を書いています。

長城の行けるころまで行きます。到るところで崩れていたり、急峻な道であったりしますが、ご本人にしてみればとても感動した長城見学でした。

長城にしても北京の街にしてみても、過去のすばらしい建造物をどうしてこれほど無関心に放置するのだろうと、不思議に思います。

シュリーマンは演劇に興味があって、中国でも日本でも観劇しています。中国では、お金を出せば、300もある演目の中から希望するものをその場で決めることができ、演者が見事に演じることに大変驚いています。ただし、音楽は全くなじめません。

港ではジャンクに乗った海賊が横行し、香港ではデンマーク船や、スペインの大型船が襲われています。香港を発って行方知れずになる商船の9割は、海賊に襲われたのだといっています。

 

シュリーマンは上海から日本に向かいます。

タウンゼント「暗黒大陸 中国の真実」

私は中国あるいは中国人を殆ど知りません。

これまで「中国は日本文化の源流だ」と、何はともあれ敬意をもってみていました。
漢字や仏教や様々な文化を教えてくれたのは中国であり、私が大好きな[三国志]は、日本がいまだ未開時代の歴史物語です。「中国は日本にとって文化や道徳の先生だ」と思っていました。

ラルフ・タウンゼント[暗黒大陸 中国の真実](芙蓉書房 2007年)を読みました。

驚きましたが、「やっぱりそうなのか」という方が正しいかもしれません。近年TVで酷い中国人が映し出されますが、私は本当のところ無関心で、「どの国にも酷いやつはいるよ」程度に思っていました。しかしこの際、中国人観を考えなおす時だと思います。

原著は1933年の発行です。

「眠れる獅子」といわれた中国が、アヘン戦争(1840年)で英国に、日清戦争(1894年)では日本にあっけなく敗れたことで、西洋列強は我先に中国に狙いを定め、上海や香港やその他の土地に租借権を確保し、中国へ勢力拡大を計っています。

清王朝の力は弱くなり、辛亥革命(1911年)等の反乱が勃発、清は滅亡し(1912年)、南京に中華民国が樹立されましたが、いまだ確固たる統治機構が成立せず、様々な勢力が衝突を繰り返していた時代です。

中国というパイを、列強が分け合う相談をしています。
左から、英国、ドイツ、ロシア、フランス、日本(Wikipediaより)

タウンゼントはアメリカ人で大学卒業後、一時新聞記者になりますが、のち国務省に入り、1931年から上海と福建省で米国副領事を務め、1933年外交官を辞めて本書を書きます。

彼は中国に住んで、ほとほと中国人に手を焼いて、完全に切れています。彼は中国人が大嫌いです。

次のように書いています。

驚くべき感受性を持つと同時に本性むき出しで脅しつける人、完成された職人芸を持ちながら崩れ落ちぶれたあばら屋に住む人、仕事熱心でありながら共同では働けない人、事あるごとに諺を持ち出しながら全く信じていない人、外国人を怒らせながら持前の才でなだめ上手な人、いつも忙しくしていながら何もできない人。4億の人。雨に煙る緑の田んぼ、ジャンクや籐の帆掛け船が浮かぶ黄色い川。すべてに香辛料とじめじめしたカビのような匂いが漂う。これが中国であり、中国人である。

この記述はまだ控え目です。本の大半は、中国人がいかに酷い人種であるかを気分が悪くなるほどに書き綴ります。

彼によれば中国人は、調子はいいけど、金がなによりも大切で、約束は守らず、嘘をつくのはあたりまえ、自分が大事、家族が大事。国のために団結するなど考えられず、全く信用できない不正まみれのゴロツキの群れである。

 

アメリカやフランスの租界地にいる外国人は、しばしば略奪や虐殺にあっています。

そんな中1932年、上海事変が勃発し、日中が衝突、日本は上海を空爆します。現地の多くの西欧人からは「日本はよくやった」という声があがります。

ところが、中国で布教を続けるキリスト教の宣教師は、どこまでも中国の味方をし、新聞もまた碌に真実を調べもせず中国に同情的な記事を書きます。

ここで、アメリカにおける中国人観、日本人観を押さえておかなければなりません。アメリカには古くから中国人が移住していて、中国人は愛嬌がよくアメリカ人からすれば憎めない人種だったのですが、後に移住してきた日本人は社交的ではなく、アメリカ人からすれば得体の知れない人種だったし、日清・日露戦争で力を見せつけた日本は、白人帝国を脅かそうとする警戒すべき国・人種だったのです。

 

後半には視点を変えて、具体的な話が出てきます。一つは「日本と中国人」の章で、中国人との対比で日本人論を展開しています。日本人評は、ほぼ納得できるものです。

この中で日本と満州のかかわり、張作霖および張学良と日本の関係、その過程でのあるいはその結果に対する、欧米の日本への不当な干渉・論調を憤りをもって述べています。

南京虐殺の話が出てきます。私はてっきり日本によるとされる大虐殺のことかと思ったら、1926年、中国国民党による外国人虐殺の話でした。

北伐第一軍が南京に入城したとき、「略奪、外国人殺害許可証」をもっていたということで、
すなわち外国民間人の虐殺は、軍としての方針であったと主張しています。

 

この本を読んで思うのは、「これまで中国という国をどれほど好意的に理解していたか」。という感想です。

韓国は胡散臭いと感じていましたが、中国はいつも割り引いて考えていました。(酷いのは共産党で、人種としては日本人と変わりはないのだと。)

この本に書かれたことは混乱の中の中国の話ですから、そのまま現在に適用するのは適当ではありませんが、尖閣列島の中国の行動、反日の日系商店、企業の打ちこわし。高級官僚の汚職、国家予算のなん分の一かは、どこに消えたか分からないという政治体制。

本質的な部分は当時と今とでは変わっていないと思います。

 

それと、ここでも思い知らされたのは、「日本は国際世論に鈍感ではいけない」ということです。これはなかなか難しいことですが、すくなくとも、いつも「正しいことは正しい」とはっきりと主張しなければいけません。問題を先送りにして、何を考えているのか分からない人種・国ではいけません。

日本はいつも自分の考えを主張する国としてその存在感を示さなければいけません。それは安全保障の原則だと思います。

ただし、威勢のいいことをいって、外国から噛みつかれると、すぐに放り出して自分で最後まで責任をもって対処しなかったり、すぐに「ごめんなさい」といって逃げ出す政治家は、逆に日本を不利な立場していくことを認識しているのでしょうか。

そもそも国政をになう政治家が国益にからむ問題をどれほど真剣に勉強しているのでしょうか。また政治家の発言の重みをどれだけ明確に認識しているのでしょうか。

Joomla! 3

Joomla!ジャパンのサイトから、日本語Joomla(3.1.1)の最新版を取得して、XAMPP1.8にインストールしました。

[Joomla! 3 Beginner’s Guide]を読みながら動作確認していたのですが、日本語版のサンプルとこの本のサンプルが異なっていて、今一つ理解ができません。

ともかく6章までは読み終えたのですが、しっくりこないので、改めて本家のJoolma! 3.03を入れなおして、もう一度読み直すことにしました。

Joomla!のインストールでは、あらかじめMySQLでデータベースを作っておかなければなりません。

XAMPPにはMySQLのGUIツールとして、phpMyAdminが添付されています。
phpMyAdminはすでに何年も使っていますが、解説書ももっていないので、詳しくわかっていなくて手さぐりで使用しています。

例えば、Joomla!用のデータベースを作成して、その管理ユーザを設定する方法がよくわかりません。とりあえず動作しますが、期待通りの設定ができていいません。(SQL文を実行すれば、何でもできます)

確か他のCMS、DrupalとかConcreteとかでは、その中で自動でデータベースを作成したり、ユーザの設定ができたように思います。だからそれらのCMSでは、管理ユーザの設定で戸惑った記憶はないのです。Joomla!も同じにしてもらいたいと思います。

ともかく再度英語版の[Joomla! 3]をインストールし、[Joomla! 3 Beginner’s Guide]を読み直しています。当然ですが、解説書と同じ状態を自分で確認できますので、今度は理解が大幅に改善されました。

ここのところ暑いので、孫にかき氷機を送ってやりました。シロップはイチゴなら間違いないだろうと送りましたが、意外にもイチゴが嫌いだということです。

晃一君は少し熱がでたようです。
かき氷を食べると元気がでるかな。

かき氷を少し食べると元気になるよ
かき氷を少し食べると元気になるよ

 

8月にはまた妻の実家にみんなで集合です。
田舎の家で広いので、かくれんぼしたり、晃一君も楽しみにしているようです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

7月26日、コーちゃんは水泳教室で17級に進級しました。
「じいちゃんの教えたことを覚えているかい」ときいたら、
「えーと。忘れた」そうです。
「失敗は成功の元だよ」。

これまでは、幼児の水遊び程度でしたが、
これからは大きいプールに移って、水泳らしい教室になるようです。

小さいとき、努力して一つずつ前進していくことを、
遊び(スポーツ?)の中で学び習得することができれば、
なによりもすばらしいことだと思います、

ウィリアムズ「中国の戦争宣伝の内幕」

気になる隣国・韓国については一通りの勉強をし、自分なりの考えを持ちました。

気になるのはもう一つの隣国・中国ですが、中国の勉強を始めると深みにはまると思い、着手するのに躊躇していました。

ただ、いずれ読もうと何冊かの中国本は買っていました。フレデリック・ウィリアムズの[中国の戦争宣伝の内幕](2009年、芙蓉書房)を手に取ると、とても興味をそそられて一気に読みました。

ウィリアムズは1890年生まれのアメリカ人で、若い頃は世界中を今でいうヒッピーのように旅したようです。その後サンフランシスコに拠点を置き、新聞記者として活躍します。

当時日本は中国に満州事変(1931年)をしかけ、満州の経営権を握り、さらに清朝末期、混乱の中国への侵攻の機をうかがっていました。

当時中国に群がったハイエナは日本だけではありません。イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、オーストリア、ベルギー、ロシアも多かれ少なかれ中国を狙っていたのです。

ウィリアムズは支那事変勃発(1937年)の前、そして始まってからの中国や満州、日本を取材し、体験し、見聞きしたことをまとめて発表したのが本書です。原著は1938年の出版です。

日本に対する彼の視点は、第一章の最初の文章ですべて言い尽くされています。

20世紀の今日から80年以上前に、アメリカを含む西洋列強は日本のドアを叩いた。農業国としての閉ざされた中世風の生活を止め、外国に向けて港を開き、世界貿易競争のエキサイティングな儲け話に加わるように誘ったのだ。しぶしぶと、いくぶんおずおずとした調子で日本は同意した。しかしそうなったからには、日本は中途半端ではいなかった。
(中略)
やがて日本は西洋列強が新しく見出した保護すべき友人という立場から、対等のライバルとみなす程度まで競争力を貯め、成長してきた。

彼らの態度は変わった。日本の背中を優しく叩いて、「お前はいい子だ」とはもう言わなくなった。彼らは態度を変え、団結して対抗するようになった。
(中略)
ゆっくりとそして段々と日本の工業生産物を世界の市場から、締め出し始めたのだった。

私の勝手な想像ですが、ウィリアムズは日本(人)と波長が合い、日本(人)が好きだったのだと思います。そして彼なりの義侠心から、日本を擁護し、西欧とりわけ自国アメリカの政治および言論を批判します。

 

話は蒋介石の動静を中心に展開します。

蒋介石はドイツ人軍事顧問の意見を入れ、日本を挑発し、アメリカを引き入れようとします。

蒋介石は支那事変を仕掛け、その責任と残虐な行為はすべて日本にあるとするプロパガンダを展開します。キリスト教会を通じ、あるいはアメリカの中国人堂(トン、秘密結社)を通じて、日本のあることないことの残酷行為や失態を世界に発信します。

日本の台頭を嫌った西欧は、そのプロパガンダにのり、本当はもっとも警戒すべきロシア、中国の共産主義に加担する形で、日本に圧力を掛け続けます。

ウィリアムズは、
「日本は満州でよくやっているではないか」
「残酷な行為は中国側ではないか」
「どうして正しく事態を判断しないのだ」
と叫び続けます。

とりわけ、米国からすれば貿易総額3位の日本、アメリカに好感を持ち仲良くしようとしている日本に、酷い仕打ち(中国への武器輸出、日本製品の不買)は間違っていると叫びます。

蒋介石が世界に発信する、
「日本は酷い国」だというプロパガンダは巧妙であり、
「かわいそうな中国、不当で残酷な日本」
という国際世論が形成され、
日本は世界の中で孤立無援になります。

ウィリアムズは「日本は宣伝の下手な国」だと嘆きます。

そして、情勢はウィリアムズが危惧した方向に向かい、この本が出版されてから3年後に日米は開戦します。

 

内容は過去の話とはとても思えません。いまオバマ・アメリカは中国にすり寄り、韓国は米議会に「日本の戦争責任が不十分だ」と、ロビー活動をします。(そしてマスコミは、「日本はのけものにされる」と大騒ぎします)

「嘘も100回言えば本当になる」とはよくいうことです。

「戦争を放棄し、誠実に世界に貢献していけば世界は日本を尊敬するようになる」との主張は白々しく思えます。

個人の小さい付き合いの中でなら、それも一理あります。しかし、私たちと全く異なる価値観の人たちに対して、誠実にふるまうことですべてがうまくいくとは考えられません。あまりにもお人よしです。ましてや国際政治での性善説ほど危険なものはありません。

不当なプロパガンダにははっきりと反論しなければいけません。

 

私は、この数ヶ月明治以降の日本の対外的歴史を少し勉強しました。そして、「日本が進んできた道はやむを得なかったのではないか」と思います。

例えは悪いかも知れませんが、突然野盗の群れに取り囲まれたとき、まず自分が生き残ることを考えます。懸命に努力し野盗が手出しできない力をもったとき今度は、その力を弱めようと周りからよってたかって攻撃を受けることになった。

日本のかじ取りにミスもあったかもしれないが、それならどうすればよかったのか。

野盗の群れの中で、自己主張する過程で日本は近隣国に加害したことは事実でしょう。

しかし、日本の戦いは白人帝国主義に対する有色人種の戦いでもあった。結果日本は酷い目にあったけれど、そしてそれは一面では身から出た錆だったけど、日本の戦いをきっかけとして、あらゆる人種は「対等である」と主張し、認めさせることになったのもまた真実であったと考えます。

私が強く思うのは、日本は日本人は常に自分の立場をはっきりと主張し、議論し、そのような議論の中から同調者を確認し、世界の中で、日本の地歩を確立しなければいけません。

波風が立たないように議論を回避し、問題を先送りにしてはいけません。これはプロパガンダとは違います。嘘を本当ということはできませんが、正しいことをあるいは正しいと思うことを、はっきりと主張することは、絶対にやらなければいけない作業です。「ことを荒立てない」を最善とすることこそやめなければいけません。知性と理性と論理を武器に主張しなければいけません。

個人レベルでもましてや国家のレベルでも。

決して「苦手」では済まされません。