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工事開始

私が九州にいたのは、8月8日から20日まで。

その間九州は猛烈な暑さでした(全国的に暑かったようですが)。

20日帰りの飛行機が遅れ、成田に着いたのは夜の9時を過ぎていました。
車で我が家に帰る途中、遠くの暗闇にピカピカと稲妻が光っています。

あの先で雨が降っているのだろうと思っていましたら、
やがて車のフロントに雨粒が落ちてきました。

それも利根川土手に差し掛かるころには猛烈な雨になり、
ワイパーをマックスにしても、道路がよく見えません。
「土手なので、高いところの道路にまわりから水は来ないだろう」と思っていましたが、
川側の恐らく2~3メートル程の斜面から、大量の雨が道路に流れ込みます。
車は水しぶきをあげ、スピードを上げることができません。

土手から流れてくる水に押されて、
ガードレールのない崖下に車ごと落とされるのではないか、
と恐怖心がおきます。
冠水しそうな道を避けながら、やっとの思いで国道に出ましたが、
坂道の低いところには水が溜まっています。
目をこらし、水にハンドルをとられないように、エンストしないようにと緊張しっぱなしでしたが、
団地を見下ろす坂道を下る時には豪雨は過ぎ去り、
雨に濡れてキラキラ光る団地のスーパーの灯りで、ようやく緊張を解くことができました。

午前1時まで開いているスーパーで買い物をして、
我が家にたどり着いたのは、午前零時頃だったと思います。

 

団地の工事は、我が家が属する第一工区の工事が始っていました。

足場が組まれ、それから数日後には防護網がかけられました。
各戸は、ベランダから植木鉢等すべてを取り除くように、また網戸を外すよう指示を受け、
南側壁面から工事が始まりました。
最初に高圧水洗で、ベランダの床と天井の表面についた、汚れやごみを落とします。

外壁は、やはり作業員が手に持った高圧水洗機で、
汚れやはがれかかった塗装を吹き飛ばします。

私が住んでいる建物は、11階建で鉄骨プレファブです。
重量鉄骨で骨組みをし、鉄骨の間に床・壁のパネルを入れた構造です。

パネルの間、多分5センチ程度の隙間を、シール材で埋めていますので、
まず古いシール材を取り除き、新しいシールを注入していきます。
外壁塗装のひび割れ部分には防水材を、
大きくはがれたところは、たぶん補強材を混合した防水材を、擦り込みます。

続いて、ベランダの鉄部にベンガラの錆止めを塗り、
その上に錆止めの中塗りをし、最後に仕上げの塗装をして、ベランダの鉄部塗装が完了しました。

これから、外壁・天井の塗装、床の防水工事にとりかかるようです。

準備として、南側のガラス戸に不透明のビニールシートが張られましたので、
ベランダに出ることはもちろん、外を見ることもできなくなりました。

北の工事も始まり、ベランダの壁・床・天井の洗浄とシーリング工事が始まりました。

昨夜は比較的暑さが和らぎましたが、
それでも、南を封鎖されて、風は通らないし、
息が詰まりそうな一日です。

今日は、ペンキの強烈な匂いが、エレベータホールに充満しています。

早く解放されたいものです。

模様替え

私が住んでいる団地はおよそ築30年です。

建物は定期的に改修しないと荒廃します。
戸建の建物でも、アパートでも同じです。

約15年に一度大規模修繕をします。
屋上防水、壁のペンキの塗り替え、不良部分の取り換え等の全面改修です。

そのほか、鉄部はどうしても錆がきますので、
確か5年か10年に一度鉄部塗装をしています。

当団地は昔の住宅公団が建てたもので、戸数700弱の比較的大きな団地です。
公団の指導で管理組合が組織されていて、
住民持ち回りの理事会により比較的しっかり運営されています。

建物は常時、また定期的に補修をしていますので、
団地は比較的きれいな状態を保っています。

築30年経過した今年、2度目の改修を始めました。

今回は相当腐食が進んだ鉄部もあり、前回より規模の大きな改修になります。

一回目は地元の業者を使いましたが、色々な反省から、
今回は可能な限りオープンに、ということで、
業界紙で公募し、ゼネコンのリフォーム専門の子会社が落札しました。

15年前はどうだったか忘れましたが、
今回「さすが大手」という感じて、作業がテキパキと進みます。

当団地には21棟の建物があります。
前回は半年以上、全部の建物に足場と防護網をかけて、
長い間うっとうしい期間が続きましたが、
今回は、私も要求したのですが、工期を3回に分けて、順次改修をしています。
大きな建物は4ヶ月超、小さい建物は約3ヶ月で仕上げるようです。
防護網も少し黒いものを使っていますので、
内から外は良く見え、外から内は見えないものになっています。

私の住戸は高層で、工事が4ヶ月以上かかる予定です。
今工事開始1ヶ月すぎたところで、
「あと3ヶ月、あと3ヶ月、」と完成を心待ちしています。

 

ところで、それだけならいいのですが、
我が家のリフォームをすることになりました。

アパートではよくあることですが、風呂が窓に接していないので、
30年も経つとカビが生え、壁の一部もぼこぼこになっています。

水回りの改修は、たぶん2週間程度で、
「まあしょうがない」と諦めていますが、
妻が部屋の模様替をしたいといい出し、こちらは少々うんざりです。

長年の色々なものが、部屋いっぱい詰まっているので、
家の中での引っ越しです。
今から気分が重いです。

64ビットOS

私が主に使っているコンピュータは、
およそ4年前に買った[Dell Studo 540](Vista Home x86)です。
一度ハードディスクを交換しましたが、
静かだし、特に不満はありません。

アプリケーション・ソフトの開発者として「特に不満はない」という意味は、
このコンピュータで開発できないほど大きなプログラム、
すなわち数千万行におよびプログラムは書かないということです。

私がコンピュータを始めたころ、
コンピュータは大変高価で、大きな部屋にドンを座っていて、
夏は大型クーラーが部屋全体を冷却しなければいけない代物でした。

それでも私が初めて使ったコンピュータは16ビットOSだったと思います。
その後「発明」されたパソコンは8ビットOSだったと思います。

8ビットOSということは、何が問題かといえば、
大きなプログラムが書けないということです。

プログラムは最終的に機械語に翻訳されます。

一つの機械語命令は、[オペレータ]部と[オペランド]部からなります。
たとえば[1をアドレスAに保存せよ]という命令では、
オペレータは[保存せよ]、オペランドは[1]と[A]です。

ここで問題は[A]というアドレスです。
アドレス部に8ビット(1バイト)使うと、指定できるアドレスの数は256です。

1ビット 2
2ビット 4
3ビット 8
4ビット 16
5ビット 32
6ビット 64
7ビット 128
8ビット 256

すなわち、8ビットOSでは機械語に落ちた時のプログラムの大きさは最大256行です。

こんな小さなプログラムもパソコンが出現したときは、
みなさんはそれなりに有効に使っていました。

16ビット(2バイト)で約6万、32ビット(4バイト)で約4G(ギガ)の大きさのプログラムが書けます。
アプリケーションの開発では、16ビットコンピュータは時に小さすぎますが、
32ビットコンピュータは普通のプログラム開発では十分です。

上の議論は正確ではありません。
アドレスがバイト(8ビット)の先頭を指すのなら、
上の数はアドレスが指し示すバイトの数です。

私が機械語(アセンブラ)の勉強をしたのは昔のことで、
現在の命令がバイトをさすのかワードを指すのか知りません。

ただ、ここではアドレスの大きさが、指し示すことのできるアドレスの数の上限を決めている、
そしてバイト数による上限が幾らかを理解しておけばいいと思います。

しかしOSの立場からすると、ハードディスクは今や数テラバイトの大きさは普通になってきましたし、
大きなプログラムが何本も走ることはこれからますます増えて、
メインメモリも4Gを超えてきました。
OSは4Gを超えてメモリを管理しなければいけません。

という訳でアプリケーション開発からは必ずしも必要ないのですが、
OSのメモリ管理の立場から64ビットOSが必要になってきました(そう理解しています)。

 

前置きが長くなりましたが、
そんな訳でアプリケーション開発者である私は、64ビットOSにあまり関心がありませんでしたが、
気が付くと、世の中どんどん64ビットOSを採用しています。

私が作っているパッケージソフトも64ビットOSで動作させる必要に迫られてきました。

64ビット版パッケージソフト作成に取り掛かりました。
まず、64ビット[Windows 8]に[Visual Studio 2012 Premium]と[Office 2010]をインストールし、
この上に32ビットVistaで開発したプログラムをコピー、コンパイルしました。

意外にもコンパイルまではすんなりいきましたが、
動作させるとエラーがでます。

実はこのプログラムはデータベースにAccessを使っています。
色々試行錯誤して分かったのですが、
まず、64ビットOSには64ビットOfficeをインストールしなければいけません。
Officeを単独で使う分には32ビット版をインストールしても使えますが、
64ビットアプリケーションから32ビットAccessをコールすることはできません。
ビルドでターゲットコンピュータを32CPUと宣言すれば動作しますが、
そもそも64ビット用アプリケーションを作成しようとしているのですから、論外です。

今問題を拡大したくなかったので、
32ビット版の開発環境に近づけるために、
別のコンピュータに[Windows 7 x64]をインストールし、
32ビット版と同じ[Visual Studio 2010]と[Office 2010 x64]をインストールして、
Accessファイルも新たに作った64ビットAccessにインポートしました。
([Visual Studio 2010]そのものは32ビット製品のようです)

ビルドして、64ビット版アプリケーションが完成です。

 

つぎはセットアップ・プログラムです。
出来上がったアプリケーションソフトをユーザのコンピュータにインストールしなければいけません。

私は、ずっとセットアッププログラムに悩まされてきました。

私にとってのセットアッププログラムの必要条件は、
① プロダクトキーによるソフト管理
② ターゲットコンピュータにAccess Runtimeのような、
アプリケーションで必要なソフトが既にインストールされているかどうか検査し、
インストールされていない場合は自動でインストールする仕組み
③ Patch。
プログラムの更新で、変更部分だけの差分インストール

等です。

セットアップで一番簡単で確実なツールは、
[Visual Studio]に添付されている[Setup Project]プログラムですが、
これは上の条件の何れも満足しません(②は不十分です)。

セットアップソフトとしては、InstallShieldが一番いいのでしょうが、1本数十万円しますし、
OSが変わるとその都度バージョンアップしなければいけません。
私の立場からすれば、コストパフォーマンスの点で不採用です。

数年前、比較的安価なInstallAwareというセットアップソフトを購入したのですが、
このソフトは不具合が多いし、頻繁にバージョンアップします。
バージョンアップでなにが変わったのか分からないのです。
むしろ「バグ取りしただけだろう」といいたいくらいで、
機能的にはいいのですが不信感をもっています。

 

なので、WIX(Windows Installer XML Toolset)を使いたいのですが、
ドキュメントが少ないし、開発が遅い。
「本気で普及させる気があるのかな」と疑うほどです。

今は次のように考えています。
(何れも、32ビット版と64ビット版が必要です)

デモ版は、、[Visual Studio]に添付されている[Setup]プログラムを使う。
製品版はなんとか、InstallAwareの機嫌を取りながら使う。

幸い、WIX3.6では先の②に相当するBootostrapの機能がついたので、
将来のためにWIXを研究する。

前進

5歳になると色々な心理を見せます。
私が母親を叱ってから、晃一君も私を敬遠するようになりました。

一日おいて朝、コーちゃんに「釣りにいくかい」と聞くと、
「行く」といいます。
機嫌のいい時に釣りに行く話をしていたのです。

インターネットで調べた山間のヤマメの釣り堀に行くことにしました。

道中、私は晃一君に話しかけますが、彼には引っかかるものがあります。
いつものように快活に返事をしてきません。

「歌をうたおうか」とか「お話しようか」といっても乗ってきません。
やがて後ろの座席で、うつぶせになって眠ってしまいました。

2時間近く車を走らせて、釣り場に到着しました。

釣り堀には、子供たちのためにヤマメのつかみ捕り施設がありましたので、
さっそく挑戦しました。

しかしいけすの中とはいえ、生きた魚を手づかみすることは、
5歳の子の初めての挑戦としては難しい作業です。

手でつかみに行ったり、バケツをかぶせてみたり、
さんざん試みますが、うまくいきません。
やむを得ず私も靴下を脱いで応援しました。

幸か不幸か魚も弱ってきて、追いつめたバケツに一匹とらえることができました。
2匹まで権利があったのですが、
それで彼も私も満足しました。

続いてヤマメ釣りに挑戦しましたが、
釣り堀のヤマメはまったく見向きもしてくれません。

しばらく粘りましたが、あきらめて5匹のヤマメをもらって、帰途に就きました。

途中小さな町でたこ焼きのお店があったので、遅い昼食をとることにしました。
食卓が二つの小さなお店です。

一つには多分小学生二人をつれたお母さんが陣取っていました。

コーちゃんはもともとたこ焼きが好きです。
おかみさんが注文をききますと、
「マヨネーズはいや、青のりとおかかを降ってください」と注文を出します。
少しきょろきょろしますが、元気な快活な子になっていて、
おかみさんがフライドポテトをサービスしてくれたときと麦茶を運んでくれたときは、
元気よく「ありがとう」といいます。

大きなたこ焼き8つとじいちゃんのお好み焼きを少しと、
アイスクリームを半分こして、
いつものコーちゃんとじいちゃんの姿になっていました。

おかみさんは、「とてもしっかりしたいい子ですね」といいます。
「超わんぱくです」と答えましたが、
じいちゃんと二人の時のコーちゃんはとても良い子だと私も思います。

家に帰って、遊んでいると何の拍子か忘れましたが、
突然大きな声で「じいちゃん、大好き」と二度いいました。

私は少し驚きました。
これまでそこまではっきり言ったことはなかったのです。
彼の心理分析は止めにして、
仲のいい孫とじいちゃんの関係に戻って、素直にうれしく思いました。

 

日曜日に義父と義妹の法要があり、妻の兄弟が集まりました。

妻の兄弟にはその配偶者を含めて沢山の医者がいます。
一人は国立病院の小児科の医師で、
子供やその親の心理および精神の専門家です。

晃一君の母親は、この医師に息子の育て方について相談していたようです。

みんな帰った後で、母親が私の部屋にきて、
先日の行動について謝罪しました。

勿論私は受け入れました。

「我が家の意思疎通が一つ前進した」
とホットしました。

孫達が帰る日、妻と二人で新幹線の駅まで見送りにいきました。
嫁が列車に乗り込むとき、
「おじいちゃんと話ができてよかったです」といいました。
「そうだね」。
これでよかったのだと内心少しうれしくなりました。

晃一君は今日は機嫌が悪く、グズグズしていましたが、
列車が動き出すと、いつもの快活な笑顔が車窓の向こうで精一杯手を振っていました。

「少しずつでも前進していけば、それでいい」と思っています。

晃一君 5歳

妻の実家で法事があったので、それに合わせて私は一足はやく、
嫁は孫二人を連れて、お盆を挟んで6泊7日で妻の実家にやってきました。
私は初めて長期でコーちゃん達と一緒に過ごすことになりました。

晃一君は丁度5歳になったところですし、
弟の彬君は明日22日で2歳になります。

晃一君に比べて彬君は言葉が遅く、
いくつかの単語をそれもあまり明確ではないのですが、
必要最低限に使うという感じです。
活発なお兄ちゃんに比べマイペースで、
お兄ちゃんに乱暴されても、少し泣いてもそのあとは平気で遊んでいます。
ある意味肝が据わっているのかもしれません。

今回晃一君と一緒に暮らして、コーちゃんの超腕白振りを確認しました。
朝から晩まで家中を駆け回っています。
小さいときからやりたがりで、すぐ行動に移していましたので、
5歳にして恐るべきスタミナです。
大人もついていけません。

晃一君は九州に来て、すぐに二つの怪我をしました。
一つは私が引出を作るのを手伝ってくれたのですが、
ふざけて転倒し、そのはずみに鼻っ柱を木材の角にぶつけました。
もう一つはトンボを追っかけて、
足元の段差を踏み外してコンクリートに前のめりに突っ込みました。

しかし彼は並はずれて俊敏で、何れも軽傷でした。

 

晃一君は私と一緒のときはとても良い子なのですが、
母親と一緒のときは、わがままが出ます。

機嫌のいいときはいいのですが、機嫌が悪くなると永遠にグダグダいいます。
母親は機嫌をとって言い聞かそうといつまでも付き合います。
それを見ている私のいらだちは募るばかりです。

「なぜいけないことをいけないと叱らないのか」。
「なんでも子供のいうことを聞いてやるのが教育ではない」。
愛情を持って、大人の社会のルールを教えることこそ大切だと私は考えています。

2日目の夕食のときだったと思いますが、
私の隣に座ったコーちゃんのダダが始まりました。
いつまでも続くことに耐えられなくなって、私の怒りのスイッチが入りました。

「うるさい」と晃一君を大きな声で叱責しました。
泣いて抵抗するのも構わず両腕をつかんで、
「静かにしろ」というようなことを激しくがなり付けました。

母親は不安そうに息子をかばっています。

翌日は朝からベランダに子供プールをしつらえてやりましたので、
晃一君は彬君と一緒にプールではしゃいでいます。

晃一君はスイミング・スクールに通っているので、水は平気です。
プールの端から大きな水しぶきを上げて飛び込んだり。
「水を得た魚」といったところです。
脱力して仰向けになって息をすることができますので、
バックが容易に習得できるかもしれません。

かき氷をして午前のプールは終わりです。

部屋で遊んでいる間に、午後からの遊びの一つにと思って、
庭で使う散水機をそっとプールに入れてやりました。

昼食になって食堂に行くと、晃一君はまた裸になってプールではしゃいでいます。
なぜ昼食だというのに、遊ばせるのか、けじめがない。
私はずっと母親のしつけ方に不満をもっていたので、
怒りのスイッチが入り、
「躾が悪いと」強く母親に注意しました。

母親は私に食って掛かります。
私は激しく母親を叱責しました。
晃一君は「怖い」といって母親にしがみつきます。

当然に気まずい状態になりました。

 

私は優しい人間ですが、他人は往々にして私が「甘い人間だ」と勘違いします。
何の苦労も知らない、温厚な(?)、好々爺と思う人がいますが(??)、
忍耐が許容範囲を超えるとか、私の正義感がどうしても許せなくなると、
怒りの導火線に火がつきます。

相手がだれであろうと怒ります。

ビジネス上の問題であったり、団地の理事会であったり、
時にはTVの放送であったり、政党であったり、
直接怒りを伝えられない時は
「間違っているだろう!」とメールを送ります。
放送局や政党は「必ず返事を送ります」のような文言があった場合も、
一度も返事を送ってきたことがありません。

私はギクシャクした人間関係の改善策の一つは、
はっきりと本音をぶつけ合うことだと思っています。
それによって多くの場合、お互いに分かり合うことができます。
決して黙っていてはいけません。
問題は永久に解決されないのです。