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コンピュータの引っ越し

私がメインで使っているコンピュータは[Dell Studio 540]で、
もう3年もの間毎日毎日少なくとも7、8時間は使っています。
スピードも静かさも気に入っていますが、
いつも心配しているのはハードディスクの耐久性です。

これまで、使っていたディスクが壊れ、
苦い経験をしたのは一度や二度ではないので、
ディスクの不調だけは気を付けています。

いつもの通りDellの電源をいれると、
OSが立ち上がる前に、英文の嫌なメッセージが画面に出てきました。
最初と最後だけ読んで、
「何度もこのメッセージが出るようなら、管理者に連絡してくれ」
のような文がありましたので、
「いよいよか」と思ってハードディスクを交換することにしました。

古いディスクを新しいディスクに取り換えて、
OSからインストールするのは何度もやりましたが、
これだと開発環境やあらゆるアプリケーションプログラムの再インストールが必要です。

これもまたうんざりする作業が続きますので、
今回はディスクの丸ごと引っ越しをすることにしました。

Dellに問い合わせたら、
予想通り「ユーザがハード構成を変更することはサポートしない」とのことで、
「DellのBiosが市販のマザーボードに比べて特別な仕組みではない」との確認をして、
自力でディスクの引っ越しをすることにしました。

 

こういうこともあろうと、Seagateの1Tのハードディスクと、
引っ越しソフトの[EaseUS Partiton Master]と、
ディスクのクローンを作成できるという、
[クローンHDD スタンド]という何かチャチっぽい装置を買っていました。

今考えるとDellのHDD(500GB)を取り出して、
[クローンHDD スタンド]で丸ごとコピーするのが一番簡単だったと思います。
(EaseUSを使えば何時でもパーティションのリサイズができます)

多分これが最初の失敗です。

慣れないことなので慎重に慎重に、
まず[クローンHDD スタンド]をUSBでDellにつないて、
EaseUSでDellのディスクを
[クローンHDD スタンド]にセットした新しいディスクにコピーすることにしました。

Windowsのディスク管理画面で、「初期化はMBRにするかGPTにするか」聞いてきます。
(この作業はたぶんEaseUSで処理できると思います。これも小さな失敗です)
コンピュータを立ち上げたとき、複数のディスクや、複数のパーティションがある場合、
どのパーティションから起動するかの設定をしておかなければなりません。

それがMBR(Master Boot Record)で、これについてはよく知っていたのです。
GPTは知らなかったのですが、GPTが新しい規格なら「新しいに超したことはない」と、
GPTで初期化しました。

これが二番目の失敗です。

Dellのディスクは500GBで、3っつのパーティションに切ってあります。
Cドライブ(実際にはパーティション)にはOSやあらゆるアプリケーションが、
DドライブにはDell専用のリカバリーソフトが、
Eドライブには私のプログラムやドキュメントが入っています。
(ディスクの中の物理的順番はD、C、Eです)

Eドライブは私がDellに注文して作成してもらいました。

初期化がすんだので、EaseUSでディスクを丸ごとコピーしました。
多分これも失敗だったのだろうと思います。
新しいディスクに予想しなかったスペースができたと思います。

他にも不都合があったと思いますが、
それよりなによりDellではGPTディスクを認識しません。
2年前に組み立てた自作コンピュータでもダメです。

やり替えることにしました。

 

初期化をMBRにし、
Dドライブのソフトはなくてもいいようなので、
Dドライブはコピーしないで、
順番も単純にC、D、Eを新しいディスクのK、L(アキ)、Mにパーティションコピーしました。

EaseUSは実際のコピーはWindowsの中では実行しないで、
シャットダウンして新たにEaseUSの画面(Dos?)でコピーしていきます。

500GBのディスクのコピーは数時間おそらく6時間程度要したと思います。

予想していたのですが、次の問題が発生しました。
OSが立ち上がりません。
MBRが正しく設定されていないからです。

この設定はEaseUSで簡単に処理できるのですが、
EaseUSがすべて英語で、MBRの設定方法が分からなかったので、
OSのセットアップCDで修正することにしました。
(多分3つ目の失敗です)

新たらしいHDDを自作コンピュータにセットし(こちらはリムーバブルディスクを使っています)、
Vista Setup CDから起動、「初期設定の回復」の処理をして(これも数時間要しました)、
やっと新しいディスクが正しく起動するようになりました。

引っ越し作業は成功です。

ディスクをかえても以前と同じ画面が出てくるのは、
これまで経験がなかったので、
不思議な感じがします。

 

ところで、OS起動前のエラーメッセージですが、
よくみると、「wdf01000.sys」に関するもので、
ハードの不調ではなく、ソフトの不具合のようです。

インターネットを探していたら、Logicoolのソフトが問題を起こしているようです。
私はキーボートもマウスもLogicoolの無線のUnifying製品を使っています。
キーボードはソーラーのK750でケーブルも電源も不要だし、
薄型でキータッチも気に入っています。

マウスはM705でこちらは乾電池ですが、
一度も電池交換せず2年程度使っています。
今も「後7日」とか電池残が表示されますが、
まだしばらく大丈夫のようです。
こちらもほぼ満足しています。
(もう一つもっている[MX Revolution]の方がデザイン、持ち具合で勝りますが、
欠点は充電式で面倒です)

さてwdf01000.sysの問題ですが、インターネットをみると、
「UniBlueのSpeedUpPCを通すといい」とありました。

幸いUniBlueのPowersuiteを使っていますので
(頻繁に起動するのはうるさいので手動の起動にしています)、
起動しコンピュータを整理したので(?)、
そもそもの問題も解決したかもしれません。

 

初めてのことで沢山の失敗をしましたが、
なにごともやってみなければ分かりません。

InDesign 2

マニュアルの作成に、InDesignでコチョコチョっと作業していたのですが、
「やはりちゃんと勉強しなければ、InDesignのよさが分からない」と勉強を始めました。

中古で買った[Adobe InDesign 2.0]についていたマニュアルは字が細かく読みにくいので、
以前買っておいたマイコミの[InDesign CS5 マスターブック]を読んでいます。

この手の勉強は「やりながら」がいいようで、
コチョコチョっと触っていたので、
本を読むと断片的な知識の整理になり、
「そうか。そうか」と習得のスピードは速いと思います。

幸か不幸かInDesignのバージョンが古いので、
参考書もAmazonで探すと中古で数百円で手に入れることができます。
[InDesign 逆引きクイックリファレンス]も追加で購入しました。

 

ソフトの内容ですが、
現在多くの出版社がこのソフトを使っているのでしょう。
「さすが!」と感心しています。

そもそもInDesignに飛びついた一番の理由は、
コンピュータの画像をマニュアルに載せようとするとなかなかうまくいかなくて、
困っていたのですが、
InDesignでテストしたらすっきり処理してくれたことでした。

アプリケーションの出力画面をクリップボードに取り込み、
JPEGやビットマップのデータにして、
その大きさでマニュアルに張り付けるのなら問題ないのですが、
縮尺を変えると画像にノイズが入ります。

小さくするとぼけますし、大きくするとギザギザになります。
これをInDesignはこともなげに最適な画像にしてくれます。

そのほか、見出しは2行使って表示するとか、
本文の先頭の一文字を特別大きく表示するとか、
文章作成のいろいろなバリエーションがあります。

脚注やルビも作成できるようです。

もちろん縦書き横書きとか。

マニュアルの章ごとに、[ドキュメント]ファイルを作成し、
一連の[ドキュメント]を一つの[book]にします。

これだけで、各[ドキュメント]に正しくページ番号を振ってくれます。
各[ドキュメント]で[見出し]を使っておけば、
それにしたがって目次も自動です。
当然ページ番号を正しく表記します。
ただし、版が古いからか体裁のバリエーションはないようです。

索引も自動で作成します。
十分使っていませんが、これもうれしい機能です。

そのほかにも印刷本にするための、様々な機能がついていますが、
私は使わないし、よくわかりません。

コーちゃん 4歳

8月2日暑い中ゴルフに行って、「なんとか熱中症に罹らなくてよかった」と我が家でゆっくりしていたら、夕方孫のコーちゃんから電話がかかってきました。

「じいちゃん。4歳になったよ」。
8月2日はコーちゃんの誕生日です。
「そうだね。おめでとう」。
「ありがとう」。
「爺ちゃんはコーちゃんが大好きだよ」。
「。。。。」

私はコーちゃんに会うと必ず、「爺ちゃんはコーちゃんが大好きだよ」ということにしています。

息子夫婦は子供たちを可愛がっていますが、それとは別に厳しいけれどやさしい爺ちゃんや婆ちゃんが可愛がってくれたという思い出は、きっと孫の心の掛け替えのない文化になるのだと信じています。

 

実は先週妻が我が家に帰ってきて、「コーちゃんに会いに行こうか」ということになり、急きょ1泊2日のドライブ旅行に出かけたのです。

御殿場から初めて新東名を使いましたが、交通量はガラガラと言っていいほどすいていて、景色が単調だし、カーブがあまりないので、ついついスピードを出しすぎて、気がついたら120K、130K出しています。

 

前回会って以来約4ヶ月で、コーちゃんはどれほど変わったのだろうと思っていましたが、少し日に焼けて、引き締まってお兄ちゃんらしくなっていました。

弟のアキちゃんも4月にはまだ「乳児」でしたが、よちよち歩きができるようになって可愛らしくなっていました。

コーちゃんの誕生日のプレゼントは、注文を聞いていた赤い靴と、動物や昆虫の図鑑と、ディズニーのアニメのDVDです。

コーちゃんが生まれた時から靴はもっぱら妻が買っていたので、当然おばあちゃんに買ってもらうものだと思っているようです。図鑑は外に持ち出せるように小型のものを選びました。ディズニーのアニメは私自身が小さいとき感動した、「白雪姫」とか「ピノキオ」とか10巻組のものです。著作権がきれたのでしょうか。とても安く買うことができました。

初日潮干狩りに連れて行きたかったのですが、潮目が悪るかったので、海水浴にしました。

海は怖がったので、すぐそばの子供プールに移動しました。これまで私の都合で、「もう、帰ろう」ということが多く、たぶん欲求不満がたまるだろうと、今回は思う存分遊ばせました。

我が家においていた、昔息子たちが使ったゴーグルを持っていきました。コーちゃんはまだ頭が小さいので寸法を調節して、何度も何度も水の滑り台で、頭から突っ込んだり、お尻から飛び込んだり。今度は浮き輪を借りて回るプールを回ったり。

こちらは「事故でもおきないように」とひやひやしながら、2時間近くプールで遊ばせてました。

持って行ったおにぎりや、売店でたこ焼きを買って食べたり。

コーちゃんはもう十分遊んだので、帰ることにしましたが、まだ時間が早かったので遊覧船に乗ることにしました。しかし、コーちゃんはさすがに疲れ果てたようで移動の車中眠り込んでいました。遊覧船に乗っても爆睡です。遊覧船に乗ったことも覚えていないのでしょう。

2日目はディズニーアニメを一緒に見ようと思っていたのですが、弟の寝る時間に邪魔をしそうなので、急きょ川遊びにつれていきました。

時間がなかったので、パチャパチャという程度だったのですが、養殖のあゆや川の中の小魚をみることができました。

「来年はもっと計画をたてて、バーベキューでもしたいね」と妻と話したことです。

道中、例によって後部座席で妻とコーちゃんがいろいろ話をしています。

「あいうえお」、「かきくけこ」が言えます。
「へぇー」と思っていてのですが。
「さしすせそ」は発音ができなくてむちゃくちゃです。

去年まで自分のことを「コーイチ」と言っていたのですが、4月に「僕」になり、今回は「俺」です。

「俺がついてるぜ!」
がコーちゃんのマイブームです。
アニメに出てくるようです。

「村社会」

私は「村社会」といわれる教師と医師の世界を多少知っています。

教師についての少しの経験を前回書きました。

実は私の義父は医師で、
妻方にはそのほかにも数人の医師がいます。

彼らと深い付き合いはありませんが、
医師がどのような人たちかはある程度知っています。

 

私は若いころ1年足らずの期間でしたが、
米ピッツバーグのカーネギーメロン大学で3DCADの研究をしました。
カーネギーメロン大学は小さな大学ですが、優秀な大学として知られていました。

ピッツバーグにはもう一つピッツバーグ大学というのがあって、
医学界では相当知られた大学のようでした。

私は最初は単身で、安ホテルから大学に通っていたのですが、
暖かくなってアパートを借りて、
妻と当時4歳と1歳になった息子たちを呼び寄せ、
アメリカの生活を楽しんでいました。

アパートにはピッツバーグ大学に通っている若い医者の家族が2家族いて、
時々挨拶をしていたのですが、
妻がきたことだし、同じ日本人同士なので、2家族を招待して、
妻の手作りの料理でもてなしました。

親しい関係ではありませんでしたが、
普通ならそれぞれの仕事のこととか、
家族のこととかあたりさわりのない会話をするものですが、
この2家族の人たちは私たちをまったく無視して、
お互いに「先生」、「先生」と呼びながら身内の話に終始しています。

私たちは完全に蚊帳の外で、
あたかも料理人のような立場になり、
楽しいはずのパーティーはまったく不愉快なものになりました。

「実は義父は医者なのです」といえば、
彼らの態度は変わったのかも知れませんが、
そもそも私が職業や肩書に媚びたり、持ち上げることはあり得ませんので、
身内のことは何も言わず、
「2度と親しくすることはない」
と内心思ったことです。

もう一つの医者についての不愉快な体験は、
今年2月このブログの「それからのそれから」で書きました。

 

医者といい教師といい、
「これらの人たちはなぜ普通ではないのだろう」と考えます。

結論からいえば、彼らは「村社会」の人たちだからだと思います。

[普通の人]は基本的に競争社会で生きている訳で、
同僚やライバル会社と競い、失敗すれば上司にしかられ、
友人や同僚と泣き、笑い、喧嘩し、仲直りするなかで、
人の痛みや優しさを学び、
社会での自分の立ち位置を知ります。
また失敗や成功から社会での生きる知恵を学びます。

[普通の人]は、人それぞれに程度の差があるにしても、
自分が成長していかなければ、
社会のなかでまっとうには生きていけないと判っているのです。

一方医者とか教師は、
閉鎖的環境=「村社会」の中で「医者であれば」また「教師であれば」、
それだけで生活は保障されている訳で、
人間として批判に晒されることは非常に少ないのです。

何故でしょうか。
医者や教師という「職業」は、
私たちの人命を救い、また次世代の子供たちを教育するという大変重要な「仕事」ゆえに、
願いを込めて尊敬され特別視されてきたのです。

であってみれば、この職業についた人は、
[普通の人]以上に自己研鑽しなくてはいけないのに、
多くの医者や教師はその職に就いたことで、
「自分が尊敬されてしかるべきだ」と勘違いして、
人間としての成長を止め、
結果未熟な裸の王様が大変多いのです。

すべて「事なかれ。事なかれ」で行動し、
事が起こってしまたら、どう対処すればいいか分からなくて、
もっぱら保身に走ります。

「ママ、僕は悪くないのだ」。
小さい子供がそそうしたとき、ひたすら言い訳し、真実から目を逸らそうとするのと同じです。

社会で大変重要な職業についている人たちがこれではいけないと思います。

解決策は彼らが若いときから、
社会人として批判にさらされる環境で生きていくことが必要だと思います。

学校 2

大津の中学校で少年がいじめで自殺した事件が大きく報じられています。

私は先生がどのような人たちか殆ど知らなかったのですが、
昨年1月頃近所の中学校と、
「学校のためにお役にたつことをやらせてください」、
「お願いします」というやりとりがあって、
こちらは色々調査して報告したのですが無しのつぶてです。
何度か改善を申し入れたのですが改善されず、
遂に私は業を煮やし、これではやっていけないと、
その間のことをブログに書きました。

後日談があります。

それから3ヶ月くらいして8月ころ担当教師から突然
「例の件お願いします」のようなメールがきたのです。

このノー天気なぶしつけにさすがに腹をたて、
私は「話はこれまでの不誠意を謝罪してからだ」と返事しました。

先方からは謝罪してきましたが、結局中学校でのお手伝いは止めました。
次世代を担う子供たちの役に立ちたいと思っていたのですが、
まったく予想もしなかったことでダメになったことを大変残念に思っています。

 

そして今回の大津の事件。

文部省が悪いとか親が悪いとか、
先生が忙しすぎるとか、
先生に同情的な批評もありますが、
何よりも先生がひどいと思います。

先生はなによりも弱い子供がいれば、
全てに優先してその子に寄り添うことが最重要ではないか。

そうすることが、文部省や親と対立するなら、どうしてそれらと対決しないのか。

 

しかし今回の事件も教師だけがひどいのではありません。
親たちも警察もひどいのです。

前回のブログで「和をもって尊しとなす」という社会規範は、
日本人が自分の考えをなくし、自己主張をなくした大きな要因になったと書きました。
そしてもう一つ大切な正義感もなくしたと思います。

この事件は特殊な人たちの特殊な事件ではありません。
現代日本人の縮図です。

普通の日本人が場合によってはあるいは立場によっては、
大津の教員と同じ行動をとるのです。

おそらく先生は本来気持ちの優しい人が多いと思います。
しかし優しいからといって、
将来を担う子供を預かっている身であれば、
生徒を導く哲学や正義感のない行動が許されることではありません。

教師は、教師という村社会の中で、
考えることをやめ、行動することをやめ、
文部省や日教組のいうこと(自分に都合のいい部分のみ)を忠実に守り、
子供のことよりも、自分の生活を最重要にしていると思います。

学校を救うとは、単に教師を批判するだけではなく、
彼らを反面教師として、
日本人一人ひとりがにしっかりした価値観をもち、
身の回りで正しいと思うことを主張し、
行動することから始めなければいけないと思います。
そして最終的には日本人の再構築が必要だと思います。

 

追。
本日のヤフーでみると、大津の中学校に抗議の電話が殺到しているそうです。
これもまた、「いじめ」と思いませんか。(2012/7/22)