「朝鮮紀行」半島へ

1894年イザベラ・バードが最初に踏んだ朝鮮の地は、半島の南端の港町・釜山でした。

朝鮮は長い間、頑なに鎖国政策をしいていて、1860年代にはロシア、アメリカ、フランス、ドイツ等が、武力をもって開国を迫りますが、ことごとく失敗に終わります。

日本もまた、朝鮮の近代化を望み、開国の要求をだしますが、埒があきません。業を煮やし、1875年5月半島の西海岸、ソウルの西北西の江華島で、発砲訓練や様々な挑発行為を繰り返し、結局武力でもって日朝修好条約の締結にこぎつけます。ここに朝鮮の開国が始まり、各国も次々と朝鮮と条約を締結します。

バードが釜山に上陸したとき、そこはすっかり「日本」でした。釜山から船で、半島の西海岸を北上し済物浦(仁川)に至りますが、ここもまた「日本」でした。1894年当時、朝鮮には釜山、済物浦、元山に日本人居留地があって、これらの地には日本風の郵便、通信が整備され、銀行もあり、日本との交易基地になっていたのです。

バードは済物浦からソウルに入りますが、この町はまったくみすぼらしく、汚く、悪臭のするところでした。次のように書いています。

「城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから…」

ここには公園も、歴史的建造物も、美術品もなにもありません。
その後、ソウルを起点に色々なところを旅しますが、他の町も同じようなものです。
また朝鮮は禿山の多い国ですが、漢江からの奥地・東海岸には多くの美しい自然があったようです。

朝鮮では貨幣による交易が極度に遅れており、唯一通用する穴あき銭は価値がないために、大量に持ち運ばなければいけません。船で漢江を遡上することにしたのも、多分船なら穴あき銭を大量に積むことができたからだと思われます。予備として、日本の銀貨をできるだけたくさん鞄に詰め込んで出かけました。交換できるあてもなかったのですが(結果として役にたったようです)。

元山への道、漢江を平底の船で上るのは大変でしたが、滝や色々な絶景を堪能しています。

当時朝鮮には沢山のトラとヒョウがいたようで、同行の朝鮮人はみんな特に夜間の外出を恐れますし、
猛獣を恐れて汚い旅館も必ず厳重な戸締りをしますので、家畜も一緒の部屋は強烈な悪臭に包まれます。

 

半島の東・元山についたとき、東学党の乱の噂を聞きます。

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